。それから間もなく、もう念仏の声がしてゐるのであつた。亡くなつたのは、そこの家の長女の配偶で、広島で遭難し歩いて此処まで戻つて来たのだが、床に就いてから火傷の皮を無意識にひつかくと、忽ち脳症をおこしたのださうだ。
病院は何時行つても負傷者で立込んでゐた。三人掛りで運ばれて来る、全身硝子の破片で引裂かれてゐる中年の婦人、――その婦人の手当には一時間も暇がかかるので、私達は昼すぎまで待たされるのであつた。――手押車で運ばれて来る、老人の重傷者、顔と手を火傷してゐる中学生――彼は東練兵場で遭難したのださうだ。――など、何時も出喰はす顔があつた。小さな姪はガーゼを取替へられる時、狂気のやうに泣喚く。
「痛い、痛いよ、羊羹をおくれ」
「羊羹をくれとは困るな」と医者は苦笑した。診察室の隣の座敷の方には、そこにも医者の身内の遭難者が担ぎ込まれてゐるとみえて、怪しげな断末魔のうめきを放つてゐた。負傷者を運ぶ途上でも空襲警報は頻々と出たし、頭上をゆく爆音もしてゐた。その日も、私のところの順番はなかなかやつて来ないので、車を病院の玄関先に放つたまま、私は一まづ家へ帰つて休まうと思つた。台所にゐた妹が戻つ
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