しい声であろう。このあたりにもう人間は生活を営み、赤ん坊さえ泣いているのであろうか。何ともいいしれぬ感情が私の腸を抉《えぐ》るのであった。

 槇《まき》氏は近頃|上海《シャンハイ》から復員して帰って来たのですが、帰ってみると、家も妻子も無くなっていました。で、廿日市町の妹のところへ身を寄せ、時々、広島へ出掛けて行くのでした。あの当時から数えてもう四カ月も経《た》っている今日、今迄|行方《ゆくえ》不明の人が現れないとすれば、もう死んだと諦《あきら》めるよりほかはありません。槇氏にしてみても、細君の郷里をはじめ心あたりを廻ってはみましたが、何処《どこ》でも悔みを云われるだけでした。流川《ながれかわ》の家の焼跡へも二度ばかり行ってみました。罹災者《りさいしゃ》の体験談もあちこちで聞かされました。
 実際、広島では今でも何処かで誰かが絶えず八月六日の出来事を繰返し繰返し喋《しゃべ》っているのでした。行方不明の妻を探《さが》すために数百人の女の死体を抱き起して首実検してみたところ、どの女も一人として腕時計をしていなかったという話や、流川放送局の前に伏さって死んでいた婦人は赤ん坊に火のつくのを防
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