、怪しげな断末魔のうめきを放っていた。負傷者を運ぶ途上でも空襲警報は頻々《ひんぴん》と出たし、頭上をゆく爆音もしていた。その日も、私のところの順番はなかなかやって来ないので、車を病院の玄関先に放ったまま、私は一まず家へ帰って休もうと思った。台所にいた妹が戻って来た私の姿を見ると、
「さっきから『君が代』がしているのだが、どうしたのかしら」と不思議そうに訊《たず》ねるのであった。私ははっとして、母屋の方のラジオの側《そば》へつかつかと近づいて行った。放送の声は明確にはききとれなかったが、休戦という言葉はもう疑えなかった。私はじっとしていられない衝動のまま、再び外へ出て、病院の方へ出掛けた。病院の玄関先には次兄がまだ茫然《ぼうぜん》と待たされていた。私はその姿を見ると、
「惜しかったね、戦争は終ったのに……」と声をかけた。もう少し早く戦争が終ってくれたら――この言葉は、その後みんなで繰返された。彼は末の息子《むすこ》を喪《うしな》っていたし、ここへ疎開するつもりで準備していた荷物もすっかり焼かれていたのだった。
 私は夕方、青田の中の径《みち》を横切って、八幡川の堤の方へ降りて行った。浅い流れの小川であったが、水は澄んでいて、岩の上には黒とんぼが翅《はね》を休めていた。私はシャツの儘《まま》水に浸ると、大きな息をついた。頭をめぐらせば、低い山脈が静かに黄昏《たそがれ》の色を吸収しているし、遠くの山の頂は日の光に射られてキラキラと輝いている。これはまるで嘘《うそ》のような景色であった。もう空襲のおそれもなかったし、今こそ大空は深い静謐《せいひつ》を湛《たた》えているのだ。ふと、私はあの原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落して来た人間のような気持がするのであった。それにしても、あの日、饒津《にぎつ》の河原《かわら》や、泉邸の川岸で死狂っていた人間達は、――この静かな眺《なが》めにひきかえて、あの焼跡は一体いまどうなっているのだろう。新聞によれば、七十五年間は市の中央には居住できないと報じているし、人の話ではまだ整理のつかない死骸《しがい》が一万もあって、夜毎《よごと》焼跡には人魂《ひとだま》が燃えているという。川の魚もあの後二三日して死骸を浮べていたが、それを獲って喰った人間は間もなく死んでしまったという。あの時、元気で私達の側に姿を見せていた人達も、その後敗血症で斃《た
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