飯田橋駅
原民喜
飯田橋のプラットホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう。省線電車がお腹を摩りつけて其処に停まると、なかから三人の青年紳士が現れた。彼等は一様に肩の怒ったオーバーを着て三人が三人ステッキを持って、あの長いコンクリートの廊下を神楽坂方面の出口へと歩いて行く。ガランコロンとステッキが鳴る、歩調が揃ひ過ぎてる、身長がほぼ同じだ、ロボットのやうに揃ひ過ぎてる。何しろ今夜は正月元旦の晩だ。
さて、またここには、その三人の後姿に対って思はず嬉しさうに笑声を洩らした一組がある。何がそのやうに嬉しいのか、もとよりはっきりしない事柄だが、若い夫妻はこれも今夜は世間並に長閑な気分になりきってゐたにちがひない。つまりこの妻を連れたサラリーマンは四五日前忘年会の二次会で、一友と語り合って、僕達は到頭男になったね、と頻りに男らしい感慨に耽ったものだが、今夜も彼は自分が男であることを自覚してそれはとてもいい気持になってゐた。男が男であることは、まさに正月が正月であることと同様に平凡なことだが、彼はその平凡に今や吻と物足りた世間並の気持を味ふ年輩なのだった。
とは云へ彼等の生活は何処でも何時でも重苦しいものではあったのだが、…………今、彼は比較的塵の少ない空気を胸一杯吸って、三年連添ふた妻と新婚の如き気持で歩けるのだった。正月の馬鹿! 微笑が神楽坂を登る彼の頬に浮かぶ。褄を摘んでしゃなりと歩く芸妓は笑はない。そしてさっきのロボットのやうな三人連れは何処へ消えたのだらう、そんなことは誰も知らない。今、夫妻は閑静な軒並をショー・ウインドーなど眺めながら、ネオンサインのぐるぐる廻るバアの前を素通りして電車道まで来ると型の如く後戻りする。その間横町から芸妓がついと現れては消える。瞰下せば牛込見附の堀はまことに寒さうなのであるが、何処か春らしい潤ひがないとも云へない。彼は立止ってそっと熱っぽい吐息を吐いてみようとした。が、それもめんどくさかったので、妻を促して再び飯田橋駅に帰った。
と、ここでもまた正月らしい風景が待構へてゐた。今、ホームには電気ブランで足をとられた中年の紳士が二人、これはぜんまいの狂ったロボットのやうにガクリガクリと今にも線路へ堕こちさうである。が、腰がふらついてゐる癖に不思議に滑り込まない。彼は痛ましい人生の縮図を見てるやうな気がしないでもなかった。もしかすると、
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング