そのうち先方の都合がどうしても立退けなくなつたと諒解と解約を申込んで来た。私は中野打越にある、甥の下宿先に再び舞戻つて来た。それから私は新聞社に「求間独身英語家庭教師に応ず」といふ広告を依頼してみたり、数少ない知人を廻り歩いて部屋のことを哀願してみた。「いつになつたら引越してくれる」と甥は時々不機嫌さうに訊ねる、そのたびに私は多少心あたりがあるやうな返事をしなければならなかつた。この若い学生の甥は殆ど毎日友人を連れて来ては部屋に寝そべつてゐた。
「あの時は愉快だつたね、隣の家にはピカ(原子爆弾)で死にかかりの人間がゐるのに、こちらではみんな楽器を持寄つて大騒ぎやつた」
 私は若い学生たちのだらけきつた雑談を部屋の片隅できかされた。みんな彼等は原子爆弾の際は中学の勤労隊にゐて市街から離れてゐたため無事だつたのだ。それは惨劇に直面し、その後突おとされた悲境のなかに生き喘いでゐる私とはひどく違ふ世界だつた。学校はもう休暇になつてゐたが甥たちはなかなか帰郷しさうになかつた。毎日、彼等は七輪で米を煮いてはガヤガヤと食事をしてゐた。食事の時刻には私は部屋を出て外食食堂に行つた。それから夜は壁際の片
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