単な経緯をSに話した。
「へえ、それは珍しい。山宮にはK大の方の友人はなかつたやうだが、それでは明日はあなたも一つ都合ついたら告別式に出てやつてくれませんか」
 山宮は学校を出て女学校へ勤務してゐるうち、Sたちのグループに加はり、太平洋戦争前まで尖鋭な文学論の筆をとつてゐた。学校を出ると私は東京を離れ殆ど孤立して暮してゐたので、こんなことを私がはつきり知るのも今がはじめてだつた。私は明日気がむいたら告別式に出席するかもしれないと約して、Sの家を辞した。
 私の記憶にのこつてゐる面影では、ひどく神経質らしい相手だつたが、その男がその後生き難い時代をどのやうに生きてゐたのだらうか。一生に三度ばかり口をきいた男、脳に悲劇が発生して惨死した男……私は何かしーんとした底で茫然とするのだつた。

 それは満州事変の始まる前の年の晩秋の午後のことだつた。K大学の合併授業で、私は自分の席から少し離れた前の席に着席した男の机の上に置いてある書物の表紙をちらりと見た。ローザ・ルクセンブルグ「経済学入門」その題名が私の注意を惹くと時々そつと私はその男を眺めだした。後から見る首筋や耳や髪の生え具合に何か烈しさうなものがあるのが私の眼に残つた。授業がすんで学生の群が坂をぞろぞろ降りて行くなかに、私は何気なくやはりその男を追ふやうにして歩いてゐた。電車通の舗道に出て、もう少し行くと道が曲つてしまふが、その男は私のすぐ前横にゐる。私はもつと彼の側に近寄つて行つた。
「ちよつとお話したいことがあるのですが」
 私はたうとう相手に声をかけてゐた。相手はひどく喫驚したやうに立どまつた。私も自分が思ひ切つて声をかけたことに驚いてゐたが、
「さつき教室で見かけましたので」と云ひかかると、
「あなたはほんとにK大の学生ですか」と相手は警戒的に私をじろじろ眺めた。私はレインコートとハンチングの服装だつた。
「一寸ここでお茶でも飲みませんか」
 私は目の前の喫茶店を指した。固い表情のまま相手はそれでも私について喫茶店に入つた。間もなく私は短刀直入にR・Sのことを話しだしてゐた。すると相手はすぐ私の言ふことを諒解したやうで、態度もすつかり平静になつてゐた。
「では廿五日の午後二時に飯田橋駅の入口のベンチで待つてゐますから」と私は約束して別れた。
 約束の日に私は飯田橋駅のベンチで待つてゐた。私は未だかつて自分で見
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