たつて走る一滴の水玉、そんな優しい小さなものに、そんな美しい小さなものに、わたしはなれないのかしら。わたしはわたしを宥めようとおもふと、静かな水が眼の前をながれた。静かな水は苔の上をながれる。小川の水が静かに流れる。あつちからもこつちからも川が流れる。白帆が見える、燕が飛んだ。川の水はうれしげに海にむかつて走つた。海はたつぷりふくらんでゐた。たのしかつた。うれしさうだつた、懐しかつた。鴎がヒラヒラ閃いてゐた。海はひろびろと夢をみてゐるやうだつた。夢がだんだん仄暗くなつたとき、突然、海の上を光線が走つた。海は真暗に割れて裂けた。わたしはわたしに弾きかへされた。わたしはわたしにいらだちだした。わたしはわたしだ、どうしてもわたしだ。わたしのほかにわたしなんかありはしない。わたしはわたしに獅噛みつかうとした。わたしは縮んで固くなつてゐた。小さく小さく出来るだけ小さく、もうこれ以上小さくなれなかつた。もうこれ以上は固まれさうになかつた。わたしはわたしだ、どうしてもわたしだ。小さな殻の固いかたまり、わたしはわたしを大丈夫だとおもつた。とおもつた瞬間また光線が来た。わたしは真二つに割られてゐたやうだ
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