だ、今はすべてが奈落なのだ。今はこの奈落の底を見とどけることに僕は僕の眼を磨《と》ぐばかりだ)友よ、友よ、遠方の友よ、かなしい友よ、不思議な友よ。堪えて、堪えて、堪え抜いている友よ。救いはないのか、救いはないのか。……僕はふらふら歩き廻る。やっぱし歩き廻っているのか。僕のまわりを歩きまわっている群衆。僕の頭のなかの群衆。やっぱし僕は雑沓のなかをふらふら歩いているのか。雑沓のなかから、また一つの声がきこえてくる。ゆるいゆるい声が僕に話しかける。

  〈ゆるいゆるい声〉

 ……僕はあのときパッと剥《は》ぎとられたと思った。それからのこのこと外へ出て行ったが、剥ぎとられた後がザワザワ揺れていた。いろんな部分から火や血や人間の屍《しかばね》が噴《ふ》き出ていて、僕をびっくりさせたが、僕は剥ぎとられたほかの部分から何か爽《さわ》やかなものや新しい芽が吹き出しそうな気がした。僕は医《い》やされそうな気がした。僕は僕のなかに開かれたものを持って生きて行けそうだった。それで僕はそこを離れると遠い他国へ出かけて行った。ところが僕を見る他国の人間の眼は僕のなかに生き残りの人間しか見てくれなかった。まる
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