イターが毀《こわ》れてしまった。石鹸《せっけん》がない。靴の踵《かかと》がとれた。時計が狂った。書物が欲しい。ノートがくしゃくしゃだ。僕はくしゃくしゃだ。僕はバラバラだ。書物は僕を理解しない。僕も書物を理解できない。僕は気にかかる。何もかも気にかかる。くだらないものが一杯充満して散乱する僕の全存在、それが一つ一つ気にかかる。教室で誰かが誰かと話をしている。人は僕のことを喋《しゃべ》っているのかしら。向側の鋪道《ほどう》を人間が歩いている。あれは僕なのかしら。音楽がきこえてくる。僕は音楽にされてしまっている。下宿の窓の下を下駄の音が走る。走っているのは僕だ。以前のことを思っては駄目だ、こちらは日毎《ひごと》に苦しくなって行く……父の手紙。父の手紙は僕を揺るがす。伊作さん立派になって下さい立派に、……伯母の声だ。その声も僕を揺るがす。みんなどうして生きて行っているのかまるで僕には見当がつかない。みんな人間は木端微塵《こっぱみじん》にされたガラスのようだ。世界は割れている。人類よ、人類よ、人類よ。僕は理解できない。僕は結びつけない。僕は揺れている。人類よ、人類よ、人類よ、僕は理解したい。僕は
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