ら消え失せている。ガタガタと僕の核心は青ざめて、僕は真赤な号泣をつづける。だが、誰も救ってはくれないのだ。僕はつらかった。僕は悲しかった、死よりも堪《た》えがたい時間だった。僕は真暗な底から自分で這《は》い上らねばならない。僕は這い上った。そして、もう堕ちたくはなかった。だが、そこへ僕をまた突落そうとする何かのはずみはいつも僕のすぐ眼の前にチラついて見えた。僕はそわそわして落着がなかった。いつも誰かの顔色をうかがった。いつも誰かから突落されそうな気がした。突落されたくなかった。堕《お》ちたくなかった。僕は人の顔を人の顔ばかりをよく眺めた。彼|等《ら》は僕を受け容《い》れ、拒み、僕を隔てていた。人間の顔面に張られている一枚の精巧複雑透明な硝子《ガラス》……あれは僕には僕なりにわかっていたつもりなのだが。
おお、一枚の精巧複雑透明な硝子よ。あれは僕と僕の父の間に、僕と僕の継母の間に、それから、すべての親戚と僕との間に、すべての世間と僕との間に、張られていた人間関係だったのか。人間関係のすべての瞬間に潜んでいる怪物、僕はそれが怕《こわ》くなったのだろうか。僕はそれが口惜しくなったのだろうか
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