てくる。僕と夢とあの惨劇を結びつけているものが、こんなに茫々として気が抜けたものになっているのは、どうしたことなのだろうか。
〈更にもう一つの声がゆるやかに〉
……わたしはたった一人生き残ってアフリカの海岸にたどりついた。わたしひとりが人類の最後の生き残りかとおもうと、わたしの躯《からだ》はぶるぶると震え、わたしの吐く息の一つ一つがわたしに別れを告げているのがわかる。わたしの視《み》ている刹那《せつな》刹那がすべてのものの終末かとおもうと、わたしは気が遠くなってゆく。なにものももうわたしで終り、なにものももうわたしから始らないのかとおもうと、わたしのなかにすべての慟哭《どうこく》がむらがってくる。わたしの視ている碧《あお》い碧い波……あんなに碧い波も、ああ、昔、昔、……人間が視ては何かを感じ何かを考え何かを描いていたのだろうに、……その碧い碧い波ももうわたしの……わたし以前のしのびなきにすぎない。死・愛・孤独・夢……そうした抽象観念ももはやわたしにとって何になろう。わたしの吐く息の一つ一つにすべての記憶はこぼれ墜ち、記号はもはや貯《たくわ》えおくべき場を喪《うしな》ってゆく。ああ、生命《いのち》……生命……これが生命あるものの最後の足掻《あがき》なのだろうか。ああ、生命、生命、……人類の最後の一人が息をひきとるときがこんなに速くこんなに速くもやってきたのかとおもうと、わたしのなかにすべての悔恨がふきあがってくる。なぜに人間は……なぜに人間は……なぜ人間は……ああ、しかし、もうなにもかもとりかえしのつかなくなってしまったことなのだ。わたしひとりではもはやどうにもならない。わたしひとりではもはやどうしようもない。わたしはわたしの吐く息の一つ一つにはっきりとわたしを刻みつけ、まだわたしの生きていることをたしかめているのだろうか。わたしはわたしの吐く息の一つ一つに吸い込まれ、わたしの無くなってゆくことをはっきりとあきらめているのだろうか。ああ、しかし、もうどちらにしても同じことのようだ。
〈更にもう一つの声が〉
……わたしはあのとき殺されかかったのだが、ふと奇蹟《きせき》的に助かって、ふとリズムを発見したような気がした。リズムはわたしのなかから湧《わ》きだすと、わたしの外にあるものがすべてリズムに化してゆくので、わたしは一秒ごとに熱狂しながら、一秒ごとに
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