込んで、そこで毎日、野菜ばかりを摂取してゐた。薬剤師の心得のある人だが、医者にもかからず自分の勘一つで独特の療法をつづけた。さうして、この人も無事に頭髪が生え揃ひ、ピンピンしてゐるのであつた。
 私は家の近所の水槽の中に身を浸し、そこで猛火を避けながら、遂に生きのびてゐたといふ女の話もきいた。その水槽の前にはコンクリートの建物とちよつとした空地があつたが、それにしても一昼夜燃えつづける火のなかで助かつてゐたとは恐しいことだ。フイリツピンでジヤングルに脱走し生きのびて還つて来たといふ人とも逢つた。どんな天変地異のときでも、生き運のある人は助かるのであらうか。
 私が八幡村から立去らうと考へてゐる頃のことであつた。たまたま私は天文学の解説書を読み耽けつてゐたが、何億光年、何億万光年といふ観念は私の魂を呆然とさせた。私は廿日市の長兄のところから八幡村へ戻る夜路で、よく空の星をふり仰いだ。冬の澄んだ空には一めんに美しい星がちらばつてゐた。広島が一瞬にして廃墟と化したことも壮大なことではあつたが、その一瞬は宇宙にとつて何ほどのことであつたのだらう。だが、戦災で飢ゑ、零落してゆくこの私の身は、それでは、この凍てた地球の夜にとつて、何ほどの意味があるのだらう。だが、私はこの身の行衛を、己の眼でいま少し見とどけたいのであつた。
 その後、私は東京の友人のところで間貸りして暮すやうになつたが、一年あまりすると、余儀ない事情でそこも立退かねばならなくなつた。宿なしの私は行くあてもなく、別の知人の下宿へ転がり込んだものの、身を落着ける部屋は見つからないのであつた。出来るだけ早く私はその知人のところも立退かねばならない。だが、行くあてはまるで見つからない。私の眼の前にはまた冬の夜の星の群が見えてくるのであつた。



底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「饗宴」
   1948(昭和23)年6月号
入力:ジェラスガイ
校正:林 幸雄
2002年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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