。学校へ云つてやるといい」
「禿が一たい何ですか。男でも女でもこんど禿になつたのはあたりまへのことで、恥でも何でもない。禿と云はれた位で、それ位のことで死にたいとは……その意気地なしが情ない」
甥はもう何も云はなかつたが、私は病後の甥がこんなに興奮していいのかと心配だつた。
学童疎開に行つてゐた二人の弟たちが還つて来ると、狭い家のうちはごつた返し、暮しは一層苦しくなつてゐた。甥はもうかなり元気になつてゐたが、どうかすると階下では物凄い衝突がもちあがつた。平素はおとなしい性質なのに、喧嘩となればこの甥はねちねちしてゐた。甥は炬燵にもぐつて、英語のリーダーなど勉強しだした。大病のあとだし、一年位は学校を休ませた方がいいだらうとみんなは云つてゐたが、年末頃になると、禿げてゐた頭に少しづつ髪の毛が顕れだした。
年が明けると、私はいつまでもそこの家に厄介になつてゐるのも心苦しく、頻りに上京のことを考へてゐた。甥は既にその頃から広島まで学校に通ひだした。八幡村から広島の郊外まで往復すれば、元気な男でさへ、かなり疲労する。電車までの路が一里あまり、電車に乗つてからも、それは決して楽なことではなかつた。私は甥がよくも続けて通学できるのに驚かされた。甥は毎日、軍から払ひ下げになつた、だぶだぶの服と外套を着て、早朝出かけては日没に戻つて来るのだつた。私はその年の春、漸く八幡村を立去ることが出来たが、その後、上京してからも、あの甥は元気になつたのかしらと思ひ出すことが多かつた。私が甥の元気な姿を再び見たのは、翌年の正月であつた。その時、次兄は広島の焼跡にバラツクを建てゝ恰度八幡村から荷を運んで来たばかりのところだつた。あたりはまだごつた返してゐた。甥はだぶだぶの軍服を着て、シヤベルで何かとりかたづけてゐた。私の来訪もあまり気にならない位、彼は忙しさうに作業に熱中してゐた。
私がこの頃になつて、甥のことなど書いてみる気になつたのは、何か私の現在の気持の底に、生き運といふものを探し求めてゐるからでもある。甥の頭髪はもとどほり立派に生え揃つた。あの時、禿になりながら、その後立派に助かつてゐる人は甥ばかりではなかつた。槇氏もやはりその一人である。彼は大手町で遭難し火のまはるのが急速だつたため、細君を助け出すことも出来ず、身一つで河原に避れた。その後、髪の毛が脱けだすと、彼は田舎の奥へ引
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