とその病院の間を往来するバスが、病院の玄関に横づけにされた。すると、折鞄《おりかばん》を抱《かか》えた若い医師が二人、彼の座席のすぐ側《そば》に乗込んで腰を下ろした。雨はバスの屋根を洗うように流れ、窓の隙間《すきま》からしぶきが吹込んだ。「よく降りますね、今年は雨の豊年でしょうか」と医師たちは身を縮めて話し合っていた。やがて、バスは揺れて、真暗な坂路を走って行った。
 銀行の角でバスを降りると、彼はずぶ濡れの鋪道《ほどう》を電車駅の方へ歩いた。雨に痛めつけられた人々がホームにぼんやり立並んでいた。次の停留場で電車を降りると、袋路の方は真暗であった。彼はその真暗な奥の方へとっとと歩いて行った。
 さきほどから、何か真暗な長いもののなかを潜《くぐ》り抜けて行くような気持が引続いていた。よく降りますね、今年は雨の豊年でしょうか、――そういう言葉がふと非力な人間の呟《つぶや》きとして甦《よみがえ》って来るのであった。そういえばバスや電車の席にぐったりと凭掛《よりかか》っている人間の姿も、何か空漠《くうばく》としたものに身を委《ゆだ》ねているようである。日々のいとなみや、動作まですべて、眼には見えない一本の糸によってあやつられているのであろうか。彼は書斎のスタンドを捻《ひね》り、椅子に凭掛ったまま、屋根の上を流れる雨の音をきいていた。病室の妻や、病院の姿が、真暗な雨のなかに点《とも》る懐《なつか》しい小さな灯のようにおもえた。

 ながい間、書斎の壁に貼《は》りつけていた火口湖の写真が、いつ、どこへ仕舞込んでしまったものか、もう見あたらなかった。が彼はよく、その火口湖の姿をおもい浮べながら、過ぎ去った日のことを考えた。それは彼が妻とはじめてその湖水のほとりを訪れた時、何気なく購《か》い求めた写真であった。毎朝その写真の湖水のところに、窓から射《さ》し込む柔かな陽光が縺《もつ》れ、それをぼんやり甘えた気持で眺める彼であった。……彼は山の中ほどで、息が切なくなっていた。すると妻が彼の肩を軽く叩《たた》いてくれた。それから、ふと思いがけぬところに、バスの乗場があり、バスは滑《なめ》らかに山霧のなかを走った。――それはまだ昨日の出来事のように鮮《あざや》かであった。だが、二度目にひとりで、その同じ場所を訪れた時の記憶もヒリヒリと眼のまえに彷徨《さまよ》っていた。みじめな、孤独な、心呆
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