した。
美樹君にはおめでたとの由、私も近頃童話を書きはじめてゐますが、美樹君たちの息子や娘がそれを読んでくれる日もあるだらうと思つてゐます。
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●昭和二十五年四月六日 東京都武蔵野市吉祥寺二四〇六より 広島市幟町 原信嗣宛
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春らしくなりました。みなさんお変りございませんか。美樹君の新家庭もうららかなことと思ひます。扨てペンクラブの会が十五日に広島で行はれますので、それまでに広島へ行くことにしました。着広は十二日か十三日になります。よろしく御願ひ致します。
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●昭和二十五年四月末ごろ 東京都吉祥寺より 広島市幟町 原信嗣宛
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滞在中はいろいろ御心づくし有難うございました。
久し振りにみんなの元気さうな姿を見て嬉しく思ひました。
今朝無事で東京に戻りました。
こちらは雨で寒く火鉢をかかへてゐます。みなさんによろしく。
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●昭和二十年八月二十三日 広島県佐伯郡八幡村田尾方より 茨城県高萩町南町深谷方 永井善次郎(佐々木基一)宛
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ゴオルキイの幼年時代を読みかけて面白くなつたところで、その本も灰になりました。その少し前には横光の上海と山本の真実一路を読みましたが上海はこけら脅しの作品だと思ひました。阿部次郎の三太郎の日記これも中途で灰になりましたが今度ここへ来て漱石の彼岸すぎまでを読み、あの日記にしろ漱石の作品にしろ明治四十何年代のものですが、それを思ふと、明治四十年代は昭和年代よりか進んでゐたのではないかと思つたりします。ただ昭和のものの考へ方は――それも戦争前迄のことですが、軟柔性に富んでゐたやうです。
僕の蔵書も九割以上灰になりました。焼かれることは分つてゐながら輸送が出来なかつたのです。紙も二三冊のノートのほかは全部焼けました。これから大いに書かうと思ふと少し残念です。が紙は出て来るでせうね。ここでは米が足らないので一日にわづか二杯のかゆしか摂れません。しかし昨日は何処かからパイナツプルの罐詰が舞込みました。御健勝を祈ります。話したいこともあるやうですが遠からず再会も出来るでせうね。
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