つてゐる。そこから一米幅の廊下の筈なのだが、薪やらバケツが通路一杯塞いでゐた。障害物を避けながら二三歩進むと、すぐ目の前の扉が開放しになつてゐる部屋の入口に小僧は立留まつた。が、つづいて僕がその入口に立つた時、何か気味悪い濁つた塊りがもぢやもぢやと暗いなかに蠢めいてゐる姿に僕は圧倒されさうだつた。小僧はその部屋に上つて行くと、何かひそひそと話してゐた。
「どうぞおはいり下さい」膝の上に女の児を抱へてゐる若い女が僕の方へ声をかけた。狭い汚れた畳の上には白米が一杯に新聞紙に展げてあつたが、僕が入つて来ると、真黒な腕をした痩せた老人が、それを両手で掻き集めて隅の方へ片づけた。壁に凭掛つて汚れたモンペ姿の老婆が二人、脚を投出してゐた。五人暮しかしら……僕はこの部屋の人員のことをぼんやり考へてゐた。
「お天気がわるくていけませんね。いい部屋ですよ、日もよくあたりますし……」若い女は落着払つて日常の会話を持ちかけて来た。僕はさつき土地会社の男から、その部屋の条件についていろいろきかされてはゐた。アパート管理人の諒解は後でうけることにして、最初は同居人の形でずるずる入り込むこと、(さうでもしなければこの節、部屋など絶対にないと彼は云つた)だから、部屋を見に行つても、前から識りあひの人が訪ねて来たやうに振舞つて欲しい、さうして同じアパートの煩さい人々の手前をうまく繕つてもらひたいといふのが、その条件であつた。差当つて僕はこの条件に縛られて行くより他はなささうだつた。若い女はあたりの部屋に聴かすため大きな声で世間話をするのだつた。それから、あたりを憚るやうな声で部屋の説明をした。
「あと三日位で部屋はきれいに開けますよ。ですけど、当分、間代は私の方から管理人へ払ふことにさせて下さい。それからアパートの人達にはとにかく身内だといふことにしておいて下さい。いいえ、隣近所はみんなそれはいい人たちばかりです」
 その説明は何か眼の前にある、僕には見えない、複雑な糸について云つてゐるやうな、もどかしさがあつた。
「それであなたたちの出て行くあてはあるのですか」
「こんどは事務所の二階へ移ります。いいえ、この人たちは郷里から一寸来てゐましたが明日は帰ります」
 僕は古びた箪笥や境台でごたごたした壁際や、向ふに見えるガラスの破損した窓に視線をやり、何かがつかりしたやうな気持だつた。僕と案内人とがそ
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