おろすとヒロポンを五粒飲んでおいた。
上流から玉葱の函が流れて来た。鉄橋の上で転覆した貨車から放り出されたものである。私は水際へおりて行って、函を引よせては、中の玉葱を岸の上の人に手渡した。夕方になると、こちらの岸が燃えだしたので、火の鎮まっている向岸の砂原に私たちは移って行った。ここでは、もう焚火をして夕餉の米を煮いているものもあった。私の拾った玉葱も、瓦の上で焼いて食べられた。私の雑嚢のなかの品物がここでも役立った。腕を怪我している近所の老人の手当に、私はメンソレータムや繃帯をとり出した。
次兄の家の女中は顔にひどく火傷していたが、私はその姿を見ると、オリイブ油の瓶を雑嚢に入れておかなかったのが残念だった。前から私はオリイブ油の小瓶をいつも上衣のポケットに入れていた。上衣はその朝拾えたのだが、瓶はあの瞬間どこかへ飛んでしまったのだろう。
私たちはその翌日、東照宮の境内に避難して行つた。妹は私がズルファミン剤をもっていることを知ると、それを今服用しておいた方がいいのではないかと頻りにすすめる。そこで、私たちは念のためにそれを飲んでおいた。これも後になって考えてみると、原子爆弾症
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