うしてはゐられない、……とにかく、なんとかしなければ、と僕は何か的があるやうに外出の用意をした。といつて、何処にも行く場所はなかつたし、出勤の時間はまだ早かつたが、僕はいつものやうに電車に揉みくちやにされてゐた。……僕は思考力を失つてゐた。心臓ばかりがゆさぶられ、脅え上つて一睡もしようとしない神経があつた。昼間の衝撃が緩い緩い速度で回転してゐる。と思ふと、突然、路上に放り出されて喘いでゐる自分を見出すのだ。炎天の焔の中で死狂ふ人や、放り出されてこときれてゐる死骸が……。あの死骸は僕なのか。……あの時以来、僕は死ぬるならやはり何処かの軒の下で穏かに呼吸をひきとりたいと思つてゐた。ところが、ふと気がついたのだが、僕を容れてくれる屋根は今はもう何処にもないのだ。これははじめから分つてゐたはずだつた。僕の迂闊さがいけなかつたのだ。
悪いことに、僕はその頃から、ときどき変な咳をするやうになつてゐた。
「一度医者に診てもらつたらどうだ」この家の主人は僕を憐むやうな調子で云つてくれる。「今病気したら大変だからね、早いうちに養生した方がいい」僕はただ泣きたい気持でそれを聞いてゐた。……僕の怪しげな咳
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