を選んだ。薄雲が流れてゐて、なかなか火は点かなかつた。空地のすぐ向は他所の畑になつてゐたが、その境に暫く僕は佇んでゐた。家のすぐ前では配給ものの菜つぱを囲んで隣組の女たちが集まつてゐた。漸く煙草に点火すると、僕は吻として疲れながら屋内に戻つた。それから僕はそのことを細君から云はれる瞬間までは、自分のしたことを忘れてゐたのだが……。昼の食事に僕は階下に下りて椅子に腰かけた。すると、この家の細君がすぐ僕の側の椅子に腰をおろし、前屈みの姿勢でにじり寄つて来た。
「あんた、部屋移つたらどう」
ぽつんと放たれた言葉で、僕はまだ何のことかよく分らなかつた。見ると、相手はもつと何か切出さうとして、いらいらしてゐる表情だつた。
「どこの部屋に移るのです」
「他所へ越してもらひたいのよ」
僕は全く混乱してしまつた。殆ど息も塞がりさうになり、僕の心臓が急にぐつと搾縮されてゐることがわかつた。ふと見ると、細君の額には、じりじりと汗の玉が浮んでゐた。あ、今日は少し蒸暑いから気持がいらいらするのだな、瞬間、僕はそんな物凄い顔つきをしてゐる相手を気の毒におもつた。
「私はね、一度命令したことに背く奴は徹底的に
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