いた。いつも彼の皮膚は病妻の容態をすぐ側《そば》で感じた。些細な刺戟《しげき》も天候のちょっとした変動もすぐに妻の体に響くのだったが、脆弱《ひよわ》い体質の彼にはそれがそのまま自分の容態のようにおもえた。無限に繊細で微妙な器と、それを置くことの出来る一つの絶対境を彼は夢みた。静謐《せいひつ》が、心をかき乱されることのない安静が何よりも今は慕わしかった。……だが、ある夜、妻の夢では天上の星が悉《ことごと》く墜落して行った。
「県境へ行く道のあたりです。どうして、あの辺は茫々《ぼうぼう》としているのでしょう」
妻はみた夢に脅え訝《いぶか》りながら彼に語った。その道は妻が健康だった頃、一緒に歩いたことのある道だった。山らしいものの一つも見えない空は冬でもかんかんと陽《ひ》が照り亘《わた》り、干乾《ひか》らびた轍《わだち》の跡と茫々とした枯草が虚無のように拡《ひろが》っていた。殆ど彼も妻と同じ位、その夢に脅えながら悶《もだ》えることができた。妖《あや》しげな天変地異の夢は何を意味し何の予感なのか、彼にはぼんやり解《わか》るようにおもえた。だが、彼は押黙ってそのことは妻に語らなかった。……寝つ
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