うち六万円で今度、大工を雇ったのです」と姉は云うのだった。ここは爆心地より離れていたので、家も焼けなかったのだが、終戦直後、姉は夫と死別し、二人の息子《むすこ》を抱《かか》えながら奮闘しているのだ。だが、その割りには、PL信者の姉は暢気《のんき》そうだった。「しっかりして下さい。しっかり」と姉は別際《わかれぎわ》まで繰返した。
明日は出発の予定だったが、彼はまだ兄に借金を申込む機会がなかった。いろんな人々に遇い、さまざまの風景を眺めた彼には、何か消え失せたものや忘却したものが、地下から頻《しき》りに湧《わ》き上ってくるような気持だった。きのう八幡村に行く路で雲雀を聴いたことを、ふと彼は嫂に話してみた。
「雲雀なら広島でも囀っていますよ。ここの裏の方で啼《な》いていました」
先夜|瞥見《べっけん》した鼬《いたち》といい、雲雀といい、そんな風な動物が今はこの街に親しんできたのであろうか。
「井ノ頭公園は下宿のすぐ近くでしょう。ずっと前に上京したとき、一度あの公園には案内してもらいました」……死んだ妻が、嫂をそこへわざわざ案内したということも、彼には初耳のようにおもわれた。
彼はその晩
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