へ歩いて行った。寺の近くの花屋で金盞花の花を買うと、亡妻の墓を訪ね、それから常盤橋の上に佇《たたず》んで、泉邸の川岸の方を暫く眺めた。曇った緑色の岸で、何か作業をしている人の姿が小さく見える。あの岸も、この橋の上も、彼には死と焔《ほのお》の記憶があった。
 午後は基町の方へ出掛けて行った。そこは昔の西練兵場跡なのだが、今は引揚者、戦災者などの家が建ならび、一つの部落を形づくっている。野砲聯隊《やほうれんたい》の跡に彼の探す新生学園はあった。彼は園主に案内されて孤児たちの部屋を見て歩いた。広い勉強部屋にくると、城跡の石垣《いしがき》と青い堀が、明暗を混じえてガラス張りの向うにあった。
 そこを出ると、彼は電車で舟入川口町の姉の家へ行った。
「あんたの食器をあずかってあるのは、あれはどうしたらいいのですか」
 彼が居間へ上ると、姉はすぐこんなことを云いだした。
「あ、あれですか。もう要《い》らないから勝手に使って下さい」
 食器というのは、彼が地下に埋めておき、家の焼跡から掘出したものだが、以前、旅先の家で妻が使用していた品だった。姉のところへ、あずけ放しにしてから五年になっていた。……彼
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