思へた。空二はいつまでも許しを乞ふ子供のやうにぢつと彼女を視つめてゐた。そのうちに、ちらつと彼女は空二の視線と逢つた、と思ふと彼女はにつこり笑つた。
「空二さんはお怜悧さんね」と婦人は優しく呟いた。
「少しのことが辛抱出来ないお方は駄目で御座いますよ。さあ、もう橋のところへ着きましたから、ここで暫く休みませう」
 婦人は乳母車の先頭の方へ廻つて、二頭の小山羊を楓の根元に繋いだ。それから、彼女は渓流の方へ降りて行つた。

 暫くすると彼女は掌に緑色のコツプと濡れたハンカチを持つて、乳母車の処へ戻つて来た。木の葉で拵へたコツプには綺麗な水がゆらいでゐる。彼女は黙つて空二の唇許へコツプを持つて行つた。空二はごくごくと咽喉を鳴らしながら飲んだ。婦人は満足さうに空二を眺めてゐたが、飲み了るとコツプを受取り、今度はハンケチを固く絞つた。
「さあ、お顔を綺麗にしませう」
 婦人は空二の顔にハンケチをあてた。空二は顔を左右に振つてゐたが、婦人はすつかり彼の顔を拭き終つて、今、鼻腔の処へハンカチをあてがつた。
「さあ、ちゆん、とおつしやいませ」
 空二は情なささうな顔で、婦人を見てゐた。
「ちゆん、とお
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