、慣れない仕事に抵抗しようとするやうな、ぎこちなさがあつた。……椅子が運ばれ、幕が張られ、それに清二の書いた式順の項目が掲示され、式場は既に整つてゐた。その日は九時から式が行はれるはずであつた。だが、早朝から発せられた空襲警報のために、予定はすつかり狂つてしまつた。
「……備前岡山、備後灘、松山上空」とラジオは艦載機来襲を刻々と告げてゐる。正三の身支度が出来た頃、高射砲が唸りだした。この街では、はじめてきく高射砲であつたが、どんよりと曇つた空がかすかに緊張して来た。だが、機影は見えず、空襲警報は一旦、警戒警報に移つたりして、人々はただそはそはしてゐた。……正三が事務室へ這入つて行くと、鉄兜を被つた上田の顔と出逢つた。
「とうとう、やつて来ましたの、なんちゆうことかいの」
 と、田舎から通勤して来る上田は彼に話しかける。その逞しい体躯や淡泊な心を現はしてゐる相手の顔つきは、いまも何となしに正三に安堵の感を抱かせるのであつた。そこへ清二のジヤンパー姿が見えた。顔は颯爽と笑みを浮かべようとして、眼はキラキラ輝いてゐた。……上田と清二が表の方へ姿を消し、正三ひとりが椅子に腰を下ろしてゐた時であつた。彼は暫くぼんやりと何も考へてはゐなかつたが、突然、屋根の方を、ビユンと唸る音がして、つづいて、バリバリと何か裂ける響がした。それはすぐ頭上に墜ちて来さうな感じがして、正三の視覚はガラス窓の方へつ走つた。向の二階の簷と、庭の松の梢が、一瞬、異常な密度で網膜に映じた。音響はそれきり、もうきこえなかつた。暫くすると、表からドカドカと人々が帰つて来た。「あ、魂消た、度胆を抜かれたわい」と三浦は歪んだ笑顔をしてゐた。……警報解除になると、往来をぞろぞろと人が通りだした。ざわざわしたなかに、どこか浮々した空気さへ感じられるのであつた。すぐそこで拾つたのだといつて誰かが砲弾の破片を持つて来た。
 その翌日、白鉢巻をした小さな女学生の一クラスが校長と主任教師に引率されてぞろぞろとやつて来ると、すぐに式場の方へ導かれ、工員たちも全部着席した頃、正三は三浦と一緒に一番後からしんがりの椅子に腰を下ろしてゐた。県庁動員課の男の式辞や、校長の訓示はいい加減に聞流してゐたが、やがて、立派な国民服姿の順一が登壇すると、正三は興味をもつて、演説の一言一句をききとつた。かういふ行事には場を踏んで来たものらしく、声も態度もキビキビしてゐた。だが、かすかに言葉に――といふよりも心の矛盾に――つかへてゐるやうなところもあつた。正三がじろじろ観察してゐると、順一の視線とピツタリ出喰はした。それは何かに挑みかかるやうな、不思議な光を放つてゐた。……学徒の合唱が終ると、彼女たちはその日から賑やかに工場へ流れて行つた。毎朝早くからやつて来て、夕方きちんと整列して先生に引率されながら帰つてゆく姿は、ここの製作所に一脈の新鮮さを齎し、多少の潤ひを混へるのであつた。そのいぢらしい姿は正三の眼にも映つた。
 正三は事務室の片隅で釦を数へてゐた。卓の上に散らかつた釦を百箇づつ纏めればいいのであるが、のろのろと馴れない指さきで無器用なことを続けてゐると、来客と応対しながらじろじろ眺めてゐた順一はとうとう堪りかねたやうに、「そんな数へ方があるか、遊びごとではないぞ」と声をかけた。せつせと手紙を書きつづけてゐた片山が、すぐにペンを擱いて、正三の側にやつて来た。「あ、それですか、それはかうして、こんな風にやつて御覧なさい」片山は親切に教へてくれるのであつた。この彼よりも年下の、元気な片山は、恐しいほど気がきいてゐて、いつも彼を圧倒するのであつた。

 艦載機がこの街に現れてから九日目に、また空襲警報が出た。が、豊後水道から侵入した編隊は佐田岬で迂廻し、続々と九州へ向かふのであつた。こんどは、この街には何ごともなかつたものの、この頃になると、遽かに人も街も浮足立つて来た。軍隊が出動して、街の建物を次々に破壊して行くと、昼夜なしに疎開の車馬が絶えなかつた。
 昼すぎ、みんなが外出したあとの事務室で、正三はひとり岩波新書の『零の発見』を読み耽けつてゐた。ナポレオン戦役の時、ロシア軍の捕虜になつたフランスの一士官が、憂悶のあまり数学の研究に没頭してゐたといふ話は、妙に彼の心に触れるものがあつた。……ふと、せかせかと清二が戻つて来た。何かよほど興奮してゐるらしいことが、顔つきに現れてゐた。
「兄貴はまだ帰らぬか」
「まだらしいな」正三はぼんやり応へた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなつてゐるのか、第三者には把めないのであつた。
「ぐづぐづしてはゐられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行つて見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払はれてしまつたぞ。被服支廠もいよいよ疎開だ」
「ふん、さういふことになつたのか。してみると、広島は東京よりまづ三月ほど立遅れてゐたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟くと、
「それだけ広島が遅れてゐたのは有難いと思はねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせて、なほも硬い表情をしてゐた。
 ……大勢の子供を抱へた清二の家は、近頃は次から次へとごつたかへす要件で紛糾してゐた。どの部屋にも、疎開の衣類が跳繰りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加はつて近く出発することになつてゐたので、その準備だけでも大変だつた。手際のわるい光子はのろのろと仕事を片づけ、どうかすると無駄話に時を浪費してゐる。清二は外から帰つて来ると、いつも苛々した気分で妻にあたり散らすのであつたが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠つて、せつせとミシンを踏んだ。リユツクサツクを縫ふのであつた。しかし、リユツクなら既に二つも彼の家にはあつたし、急ぐ品でもなささうであつた。清二はただ、それを拵へる面白さに夢中だつた。「なあにくそ、なあにくそ」とつぶやきながら、針を運んだ。「職人なんかに負けてたまるものか」事実、彼の拵へたリユツクは下手な職人の品よりか優秀であつた。
 ……かうして、清二は清二なりに何か気持を紛らし続けてゐたのだが、今日、被服支廠に出頭すると、工場疎開を命じられたのには、急に足許が揺れだす思ひがした。それから帰路、竹屋町辺まで差しかかると、昨日まで四十何年間も見馴れた小路が、すつかり歯の抜けたやうになつてゐて、兵隊は滅茶苦茶に鉈を振るつてゐる。廿代に二三年他郷に遊学したほかは、殆どこの郷土を離れたこともなく、与へられた仕事を堪へしのび、その地位も漸く安定してゐた清二にとつて、これは堪へがたいことであつた。……一体全体どうなるのか。正三などにわかることではなかつた。彼は、一刻も速く順一に会つて、工場疎開のことを告げておきたかつた。親身で兄と相談したいことは、いくらもあるやうな気持がした。それなのに、順一は順一で高子のことに気を奪はれ、今は何のたよりにもならないやうであつた。
 清二はゲートルをとりはづし、暫くぼんやりしてゐた。そのうちに上田や三浦が帰つて来ると、事務室は建物疎開の話で持ちきつた。「乱暴なことをする喃。ちうに、鋸で柱をゴシゴシ引いて、縄かけてエンヤサエンヤサと引張り、それで片つぱしからめいで行くのだから、瓦も何もわや苦茶ぢや」と上田は兵隊の早業に感心してゐた。「永田の紙屋なんか可哀相なものさ。あの家は外から見ても、それは立派な普請だが、親爺さん床柱を撫でてわいわい泣いたよ」と三浦は見てきたやうに語る。すると、清二も今はニコニコしながら、この話に加はるのであつた。そこへ冴えない顔つきをして順一も戻つて来た。

 四月に入ると、街にはそろそろ嫩葉も見えだしたが、壁土の土砂が風に煽られて、空気はひどくザラザラしてゐた。車馬の往来は絡繹とつづき、人間の生活が今はむき出しで晒されてゐた。
「あんなものまで運んでゐる」と、清二は事務室の窓から外を眺めて笑つた。台八車に雉子の剥製が揺れながら見えた。「情ないものぢやないか。中国が悲惨だとか何とか云ひながら、こちらだつて中国のやうになつてしまつたぢやないか」と、流転の相に心を打たれてか、順一もつぶやいた。この長兄は、要心深く戦争の批判を避けるのであつたが、硫黄島が陥落した時には、「東条なんか八つ裂きにしてもあきたらない」と漏らした。だが、清二が工場[#「工場」は底本では「工組」と誤植]疎開のことを急かすと、「被服支廠から真先に浮足立つたりしてどうなるのだ」と、あまり賛成しないのであつた。
 正三もゲートルを巻いて外出することが多くなつた。銀行、県庁、市役所、交通公社、動員署――どこへ行つても簡単な使ひであつたし、帰りにはぶらぶらと巷を見て歩いた。……堀川町の通がぐいと思ひきり切開かれ、土蔵だけを残し、ギラギラと破壊の跡が遠方まで展望されるのは、印象派の絵のやうであつた。これはこれで趣もある、と正三は強ひてそんな感想を抱かうとした。すると、ある日、その印象派の絵の中に真白な鴎が無数に動いてゐた。勤労奉仕の女学生たちであつた。彼女たちはピカピカと光る破片の上におりたち、白い上衣に明るい陽光を浴びながら、てんでに弁当を披いてゐるのであつた。……古本屋へ立寄つてみても、書籍の変動が著しく、狼狽と無秩序がここにも窺はれた。「何か天文学の本はありませんか」そんなことを尋ねてゐる青年の声がふと彼の耳に残つた。
 ……電気休みの日、彼は妻の墓を訪れ、その序でに饒津公園の方を歩いてみた。以前この辺は花見遊山の人出で賑はつたものだが、さうおもひながら、ひつそりとした木蔭を見やると、老婆と小さな娘がひそひそと弁当をひろげてゐた。桃の花が満開で、柳の緑は燃えてゐた。だが、正三にはどうも、まともに季節の感覚が映つて来なかつた。何かがずれさがつて、恐しく調子を狂はしてゐる。――そんな感想を彼は友人に書き送つた。岩手県の方に疎開してゐる友からもよく便りがあつた。「元気でゐて下さい。細心にやつて下さい」さういふ短かい言葉の端にも正三は、ひたすら終戦の日を祈つてゐるものの気持を感じた。だが、その新しい日まで己は生きのびるのだらうか……。

 片山のところに召集令状がやつて来た。精悍な彼は、いつものやうに冗談をいひながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであつた。
「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊ねた。
「それも今年はじめてある筈だつたのですが、……いきなりこれでさあ。何しろ、千年に一度あるかないかの大いくさですよ」と片山は笑つた。
 長い間、病気のため姿を現はさなかつた三津井老人が事務室の片隅から、憂はしげに彼等の様子を眺めてゐたが、このとき静かに片山の側に近寄ると、
「兵隊になられたら、馬鹿になりなさいよ、ものを考へてはいけませんよ」と、息子に云ひきかすやうに云ひだした。
 ……この三津井老人は正三の父の時代から店にゐた人で、子供のとき正三は一度学校で気分が悪くなり、この人に迎へに来てもらつた記憶がある。そのとき三津井は青ざめた彼を励ましながら、川のほとりで嘔吐する肩を撫でてくれた。そんな、遠い、細かなことを、無表情に近い、窄んだ顔は憶えてゐてくれるのだらうか。正三はこの老人が今日のやうな時代をどう思つてゐるか、尋ねてみたい気持になることもあつた。だが、老人はいつも事務室の片隅で、何か人を寄せつけない頑なものを持つてゐた。
 ……あるとき、経理部から、暗幕につける環を求めて来たことがある。上田が早速、倉庫から環の箱を取出し、事務室の卓に並べると、「そいつは一箱いくつ這入つてゐますか」と経理部の兵は訊ねた。「千箇でさあ」と上田は無造作に答へた。隅の方で、じろじろ眺めてゐた老人はこのとき急に言葉をさし挿んだ。
「千箇? そんな筈はない」
 上田は不思議さうに老人を眺め、
「千箇でさあ、これまでいつもさうでしたよ」
「いいや、どうしても違ふ」
 老人は立上つて秤を持つて来た。それから、百箇の環の目方を測ると、次に箱全体の環を秤にかけた。全体を百で割ると、七百箇であつた。

 森製作所では片山の送
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