ひ、下駄をつつかけ、土蔵を覘いてみるのであつたが、入口のすぐ側に乱雑に積み重ねてある康子の荷物――何か取出して、そのまま蓋の開いてゐる箱や、蓋から喰みだしてゐる衣類……が、いつものことながら目につく。暫く順一はそれを冷然と見詰めてゐたが、ふと、ここへはもつと水桶を備へつけておいた方がいいな、と、ひとり頷くのであつた。
卅も半ばすぎの康子は、もう女学生の頃の明るい頭には還れなかつたし、澄んだ魂といふものは何時のまにか見喪はれてゐた。が、そのかはり何か今では不逞不逞しいものが身に備はつてゐた。病弱な夫と死別し、幼児を抱へて、順一の近所へ移り棲むやうになつた頃から、世間は複雑になつたし、その間、一年あまり洋裁修業の旅にも出たりしたが、生活難の底で、姑や隣組や嫂や兄たちに小衝かれてゆくうちに、多少ものの裏表もわかつて来た。この頃、何よりも彼女にとつて興味があるのは、他人のことで、人の気持をあれこれ臆測したり批評したりすることが、殆ど病みつきになつてゐた。それから、彼女は彼女流に、人を掌中にまるめる、といふより人と面白く交際つて、ささやかな愛情のやりとりをすることに、気を紛らすのであつた。半年
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