柳の緑は燃えてゐた。だが、正三にはどうも、まともに季節の感覚が映つて来なかつた。何かがずれさがつて、恐しく調子を狂はしてゐる。――そんな感想を彼は友人に書き送つた。岩手県の方に疎開してゐる友からもよく便りがあつた。「元気でゐて下さい。細心にやつて下さい」さういふ短かい言葉の端にも正三は、ひたすら終戦の日を祈つてゐるものの気持を感じた。だが、その新しい日まで己は生きのびるのだらうか……。

 片山のところに召集令状がやつて来た。精悍な彼は、いつものやうに冗談をいひながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであつた。
「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊ねた。
「それも今年はじめてある筈だつたのですが、……いきなりこれでさあ。何しろ、千年に一度あるかないかの大いくさですよ」と片山は笑つた。
 長い間、病気のため姿を現はさなかつた三津井老人が事務室の片隅から、憂はしげに彼等の様子を眺めてゐたが、このとき静かに片山の側に近寄ると、
「兵隊になられたら、馬鹿になりなさいよ、ものを考へてはいけませんよ」と、息子に云ひきかすやうに云ひだした。
 ……この三津井老人は正三の父の時代
前へ 次へ
全60ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング