沢な緞子の炬燵蒲団が、スタンドの光に射られて紅く燃えてゐる、――その側に、気の抜けたやうな順一の姿が見かけられることがあつた。その光景は正三に何かやりきれないものをつたへた。だが、翌朝になると順一は作業服を着込んで、せつせと疎開の荷造を始めてゐる、その顔は一図に傲岸な殺気を含んでゐた。……それから時々、市外電話がかかつて来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がゐるらしかつた――が、それ以上のことは正三にはわからなかつた。
 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強ひられて来た自分と比較して、――戦争によつて栄耀栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だらうかと、何かもの恐ろしげに語るのであつた。……だらだらと妹が喋つてゐると、清二がやつて来て黙つて聴いてゐることがあつた。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考へてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿む。「まあ、立派な有閑マダムでせう」と妹も頷く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」と、正三が云ひだすと「ふん、そんなまはりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかつ腹たてだしたのだ」と清二はわらふ。
 高子は家を飛出して、一週間あまりすると、けろりと家に帰つて来た。だが、何かまだ割りきれないものがあるらしく、四五日すると、また行衛を晦ました。すると、また順一の追求が始まつた。「今度は長いぞ」と順一は昂然として云ひ放つた。「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなつて、碌に人に挨拶もできない奴ばかりぢやないか」と弟達にあてこすることもあつた。……正三は二人の兄の性格のなかに彼と同じものを見出すことがあつて、時々、厭な気持がした。森製作所の指導員をしている康子は、兄たちの世間に対する態度の拙劣さを指摘するのだつた。その拙劣さは正三にもあつた。……しかし、長い間、離れてゐるうちに、何と兄たちはひどく変つて行つたことだらう。それでは正三自身はちつとも変らなかつたのだらうか。……否。みんなが、みんな、日毎に迫る危機に晒されて、まだまだ変らうとしてゐるし、変つてゆくに違ひない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の
前へ 次へ
全30ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング