が将校に対つて話しかけると、将校は黙々と肯くのであつた。……「あ、面白かつた。あんな空中戦たら滅多に見られないのに」と康子は正三に云つた。正三は畳のない座敷で、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』を読み耽けつてゐるのであつた。アフリカの灼熱のなかに展開される、青春と自我の、妖しげな図が、いつまでも彼の頭にこびりついてゐた。
清二はこの街全体が助かるとも考へなかつたが、川端に臨んだ自分の家は焼けないで欲しいといつも祈つてゐた。三次町に疎開した二人の子供が無事でこの家に戻つて来て、みんなでまた河遊びができる日を夢みるのであつた。だが、さういふ日が何時やつてくるのか、つきつめて考へれば茫としてわからないのだつた。
「小さい子供だけでも、どこかへ疎開させたら……」と康子は夜毎の逃亡以来、頻りに気を揉むやうになつてゐた。「早く何とかして下さい」と妻の光子もその頃になると疎開を口にするのであつたが、「おまえ行つてきめて来い」と、清二は頗る不機嫌であつた。女房、子供を疎開させて、この自分は――順一のやうに何もかもうまく行くではなし――この家でどうして暮してゆけるのか、まるで見当がつかなかつた。何処か田舎へ家を借りて家財だけでも運んでおきたい、そんな相談なら前から妻としてゐた。だが、田舎の何処にそんな家がみつかるのか、清二にはまるであてがなかつた。この頃になると、清二は長兄の行動をかれこれ、あてこすらないかはりに、じつと怨めしげに、ひとり考へこむのであつた。
順一もしかし清二の一家を見捨ててはおけなくなつた。結局、順一の肝煎で、田舎へ一軒、家を貸りることが出来た。が、荷を運ぶ馬車はすぐには傭へなかつた。田舎へ家が見つかつたとなると、清二は吻として、荷造に忙殺されてゐた。すると、三次の方の集団疎開地の先生から、父兄の面会日を通知して来た。三次の方へ訪ねて行くとなれば、冬物一切を持つて行つてやりたいし、疎開の荷造やら、学童へ持つて行つてやる品の準備で、家のうちはまたごつたかへした。それに清二は妙な癖があつて、学童へ持つて行つてやる品々には、きちんと毛筆で名前を記入しておいてやらぬと気が済まないのだつた。
あれをかたづけたり、これをとりちらかしたりした揚句、夕方になると清二はふいと気をかへて、釣竿を持つて、すぐ前の川原に出た。この頃あまり釣れないのであるが、糸を垂れてゐると、一番気が
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