荷造を始めている。その顔は一図に傲岸《ごうがん》な殺気を含んでいた。……それから時々、市外電話がかかって来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がいるらしかった――、が、それ以上のことは正三にはわからなかった。
 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振《へんぼうぶ》りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強《し》いられて来た自分と比較して、――戦争によって栄耀《えいよう》栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だろうかと、何かもの恐しげに語るのであった。……だらだらと妹が喋っていると、清二がやって来て黙って聴《き》いていることがあった。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考えてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿《はさ》む。「まあ、立派な有閑マダムでしょう」と妹も頷《うなず》く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」と、正三が云いだすと「ふん、そんなまわりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかっ腹たてだしたのだ」と清二はわらう。
 高子は
前へ 次へ
全66ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング