妙に彼の心に触れるものがあった。……ふと、そこへ、せかせかと清二が戻って来た。何かよほど興奮しているらしいことが、顔つきに現れていた。
「兄貴はまだ帰らぬか」
「まだらしいな」正三はぼんやり応《こた》えた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなっているのか、第三者には把《つか》めないのであった。
「ぐずぐずしてはいられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行って見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払われてしまったぞ。被服支廠《ひふくししょう》もいよいよ疎開だ」
「ふん、そういうことになったのか。してみると、広島は東京よりまず三月ほど立遅れていたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟《つぶや》くと、
「それだけ広島が遅れていたのは有難いと思わねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせてなおも硬《かた》い表情をしていた。
……大勢の子供を抱《かか》えた清二の家は、近頃は次から次へとごったかえす要件で紛糾していた。どの部屋にも疎開の衣類が跳繰《はねく》りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加わって近く出発することになっていたので
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