とかわからないので問いかえした。
「さっき大川がやって来て、そう云ったのですよ、三日以内に立退《たちの》かねばすぐにこの家とり壊《こわ》されてしまいます」
「ふーん」と清二は呻《うめ》いたが、「それで、おまえは承諾したのか」
「だからそう云っているのじゃありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ。この前、大川に逢《あ》った時にはお宅はこの計画の区域に這入《はい》りませんと、ちゃんと図面みせながら説明してくれた癖に、こんどは藪《やぶ》から棒に、二〇メートルごとの規定ですと来るのです」
「満洲ゴロに一杯|喰《く》わされたか」
「口惜《くや》しいではありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ」と、光子は苛々《いらいら》しだす。
「おまえ行ってきめてこい」そう清二は嘯《うそぶ》いたが、ぐずぐずしている場合でもなかった。「本家へ行こう」と、二人はそれから間もなく順一の家を訪れた。しかし、順一はその晩も既に五日市町の方へ出かけたあとであった。市外電話で順一を呼出そうとすると、どうしたものか、その夜は一向、電話が通じない。光子は康子をとらえて、また大川のやり口をだらだらと罵《ののし》りだす。それをきいていると、清二は三日後にとり壊される家の姿が胸につまり、今はもう絶体絶命の気持だった。
「どうか神様、三日以内にこの広島が大空襲をうけますように」
若い頃クリスチャンであった清二は、ふと口をひらくとこんな祈をささげたのであった。
その翌朝、清二の妻は事務室に順一を訪れて、疎開のことをだらだらと訴え、建物疎開のことは市会議員の田崎が本家本元らしいのだから、田崎の方へ何とか頼んでもらいたいというのであった。
フン、フンと順一は聴いていたが、やがて、五日市へ電話をかけると、高子にすぐ帰ってこいと命じた。それから、清二を顧みて、「何て有様だ。お宅は建物疎開ですといわれて、ハイそうですか、と、なすがままにされているのか。空襲で焼かれた分なら、保険がもらえるが、疎開でとりはらわれた家は、保険金だってつかないじゃないか」と、苦情云うのであった。
そのうち暫くすると、高子がやって来た。高子はことのなりゆきを一とおり聴いてから、「じゃあ、ちょっと田崎さんのところへ行って来ましょう」と、気軽に出かけて行った。一時間もたたぬうちに、高子は晴れ晴れした顔で戻って来た。
「あの辺の建物疎開はあれで打切ることに
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