彼は広島へ赴いた。
東京を離れて十八時間汽車に乗つただけで、彼の眼は久しく忘れてゐた野や山の緑色に魅せられてゐたが、それは今、バラツクのまはりにも微風とともにそよいでゐた。縁側に腰を下して見渡すと、この家の麦畑の向に可憐な水色の木造洋館がある。それは音楽学校であつたが、ふと彼の目には原子爆弾から突如生誕した建物のやうな気もする。その凹凸の小路をヴアイオリンのケースを提げた若者たちがいそいそと通つてゐた。物置小屋の前の花畑には金盞花、矢車草、スイートピイなどが咲き揃つてゐた。
彼は下駄をつつかけて辺りを歩き廻つてみた。中野の甥もたまたま春休みで此処へ戻つてゐた。「あの木だ」と甥は指ざし教へてくれた。庭にあつた樹木は悉く焼け滅んだのに、その黒焦の楓の幹からふと青い芽が吹き出したのは昨年のことだつた。豆畑の中に立つその楓は今も美しい小さな若葉を見せてゐた。……昔の位置のままの井戸に近寄つて、内側を覗くと、石で囲はれた隙間に歯朶は青々と茂つてゐる。この歯朶も恐らく劫火のなかに生命を保つて来たものだらう。麦畑の中にある、もう一つの井戸にはたしか蛙が棲んでゐるといふが、それも奇蹟かもしれなかつた。
彼はまだ奇蹟を求めるやうに、敷石や池の跡がその儘残つてゐるあたりに佇んだ。八月六日の朝、彼は屋内にゐたため助かつたのだが、それも家が顛覆してゐたらどうなつたかわからない。壁や畳は散乱したが、その家の柱は静かにあの時錯乱を支へてゐた。――子供の頃、彼はよく母からその家の由来をきかされてゐた。父は一度ここへ新しい家を建てさせた。ある時、地震で壁にかすかな亀裂が生じると、父は忽ちその家作を解かせて、それから今度は根底から吟味を重ね新しく岩乗な普請をさせた。この亡父の用心深さが四十年後、彼の命を助けたのだつた。
土地売却の話は漠然としてゐたが、買手が見つからないとも限らなかつた。「そんなに最後のものまで手離して一体このさきどうするつもりなのか」兄は呟くのだつたが、強く反対するのでもなかつた。
彼は外に出た序に久振りにその焼跡の自分の土地を眺めようと思つて川端の方へ立寄つたが、草が茫々と繁つてゐて、どの辺に家があつたのかも見当がつかなかつた。そこの借家は母の遺産として彼が貰つたのだが、次兄がずつと棲んでゐた。生涯に一度はあの川端の家で暮してみたい、と妻は旅先の佗住居でよく彼に話してゐ
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング