なあ、人間が信じられたならなあ」とその学生は甘つたれの表情でよろよろしてゐる。冷たいものはざわざわと揺れる。火が、火が、火が、だが、火はもうここにはなささうだ。火事場の跡のここは水溜りなのか。
水溜りを踏越えたかと思ふと、彼の友人が四つ角のもの蔭で「夜の女」と立話してゐる。それからその女は黙つて二人の後をついて来る。薄暗い喫茶店の隅に入る。(どうして、そんな「夜の女」などになつたのです)親切な友人は女に話しかけてみる。(家があんまり……家では暮らせないので飛出しました)小さないぢけた鼻頭が、ひつぱたけ、何なりとひつぱたけと、そのやうに、そのやうに、歪んだやうに彼の目にうつる。それからテーブルの下にある女の足が、その足に穿いてゐる侘しい下駄が、ふと彼の眼に触れる。あ、下駄、下駄、下駄……冷たいものの流れが……(ぢやあお茶だけで失敬するよ)親切な友人は喫茶店の外で女と別れる。おとなしい女だ。そのまま女は頷いて別れる。
それからまた、ある日は、この親切な友人が彼を露地の奥の喫茶店へ連れて行く。と、テーブルといふテーブルが人間と人間の声で沸騰してゐる。濛々と渦巻く煙草の煙のなかから、声が、
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