だが、重苦しさは、その小さな家屋全体に漲つてゐて、もうどうにもならないことが僕にも分つてきた。怕しい顔つきをして押黙つてゐる、この家の細君はいつも何か烈しい苛立ちを身うちに潜めてゐた。時とすると、この小さな家は地割れの呻吟のただなかにあるやうな感じがした。ほんの微かな瞬一つからでも、この家屋は崩壊しさうだつた。その友人はまだ詩を書きつづけてゐた。僕は一度そのノートを見せてもらつたことがある。それには人間の無数の陰惨と破滅に瀕した地上の無数の傷口がぎりぎりの姿で歌ひあげられてゐた。そして、誰かが一すぢの光(それは真黒な雲の裂け目から洩れてくる飴色の太陽の光のやうだ)を微かに手をあげて求めてゐるやうだつた。殆ど彼はすべての人間の不幸を想像の上でも体験の上でも背負ひきれないほど背負はされて、精神の海の暗い深底部の岩礁に獅噛みついてゐるのではないか。ある日、その友人は黙つて旅に出掛けてしまつた。それから暫くして僕もその窒息しさうな家を飛出したのだつた。
その友人は旅に出たまま遂に戻つて来なかつた。だが、そのうち手紙は頻繁に僕のところへ届くやうになつた。それを読むたびに僕は何か烈しいものに揺さ
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