。かうした感覚はどこから湧いてくるのだらうか。僕がまた近いうちに、この部屋も立退かねばならぬといふ不安からだらうか。
 僕はあの瞬間、生きてゐた。斃れてはゐなかつた。いきなり暗闇が僕の上に滑り墜ちたので、唸りながらよろめいた。僕はあの時、自分のうめき声をきいた。頭に落ちてくるものは崩れ落ちる破片だつた。だが、僕はもつともつと何かひどいものに叩きつけられたやうな気がした。すべてが瞬時に、とほりすぎた。もの凄い速さが僕のなかで通り過ぎたのだ。あの時から、僕はもう「突然」といふ言葉が奇異に感じられなくなつたし、あの時から僕は地上に放り出された人間だつたのだ。……僕はあの夜のことを憶ひ出す。広島の街は夜もすがら燃えてゐた。僕は川原の堤の窪地に横臥して、人々の号泣をきいてゐた。殆どこれからさき、どうなるのか皆目わけのわからぬ状態のなかに、不思議な静けさがあつた。もはや地球は破滅に瀕してゐて人々は死の寸前に置かれてゐる、さうした不思議な静けさだつたかもしれない。薄暗いなかに負傷者や避難民が一ぱい蹲つてゐた。僕のすぐ側にやつて来て蹲つた男は、どんな男なのか視線ではわからなかつた。だが、声でその人の人
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