娘であった。かと思うと、警防団の服装をした男が、火傷で膨脹した頭を石の上に横《よこた》えたまま、まっ黒の口をあけて、「誰か私を助けて下さい、ああ看護婦さん、先生」と弱い声できれぎれに訴えているのである。が、誰も顧みてはくれないのであった。巡査も医者も看護婦も、みな他の都市から応援に来たものばかりで、その数も限られていた。
私は次兄の家の女中に附添って行列に加わっていたが、この女中も、今はだんだんひどく膨れ上って、どうかすると地面に蹲《うずくま》りたがった。漸《ようや》く順番が来て加療が済むと、私達はこれから憩《いこ》う場所を作らねばならなかった。境内到る処に重傷者はごろごろしているが、テントも木蔭《こかげ》も見あたらない。そこで、石崖《いしがけ》に薄い材木を並べ、それで屋根のかわりとし、その下へ私達は這入り込んだ。この狭苦しい場所で、二十四時間あまり、私達六名は暮したのであった。
すぐ隣にも同じような恰好《かっこう》の場所が設けてあったが、その筵《むしろ》の上にひょこひょこ動いている男が、私の方へ声をかけた。シャツも上衣《うわぎ》もなかったし、長ずぼんが片脚分だけ腰のあたりに残されていて、両手、両足、顔をやられていた。この男は、中国ビルの七階で爆弾に遇《あ》ったのだそうだが、そんな姿になりはてても、頗《すこぶ》る気丈夫なのだろう、口で人に頼み、口で人を使い到頭ここまで落ちのびて来たのである。そこへ今、満身血まみれの、幹部候補生のバンドをした青年が迷い込んで来た。すると、隣の男は屹《きっ》となって、
「おい、おい、どいてくれ、俺の体はめちゃくちゃになっているのだから、触りでもしたら承知しないぞ、いくらでも場所はあるのに、わざわざこんな狭いところへやって来なくてもいいじゃないか、え、とっとと去ってくれ」と唸《うな》るように押っかぶせて云った。血まみれの青年はきょとんとして腰をあげた。
私達の寝転んでいる場所から二|米《メートル》あまりの地点に、葉のあまりない桜の木があったが、その下に女学生が二人ごろりと横わっていた。どちらも、顔を黒焦げにしていて、痩《や》せた脊を炎天に晒《さら》し、水を求めては呻《うめ》いている。この近辺へ芋掘作業に来て遭難した女子商業の学徒であった。そこへまた、燻製《くんせい》の顔をした、モンペ姿の婦人がやって来ると、ハンドバッグを下に置きぐったりと膝を伸した。……日は既に暮れかかっていた。ここでまた夜を迎えるのかと思うと私は妙に佗《わび》しかった。
夜明前から念仏の声がしきりにしていた。ここでは誰かが、絶えず死んで行くらしかった。朝の日が高くなった頃、女子商業の生徒も、二人とも息をひきとった。溝《みぞ》にうつ伏せになっている死骸《しがい》を調べ了《お》えた巡査が、モンペ姿の婦人の方へ近づいて来た。これも姿勢を崩して今はこときれているらしかった。巡査がハンドバッグを披《ひら》いてみると、通帳や公債が出て来た。旅装のまま、遭難した婦人であることが判《わか》った。
昼頃になると、空襲警報が出て、爆音もきこえる。あたりの悲惨醜怪さにも大分|馴《な》らされているものの、疲労と空腹はだんだん激しくなって行った。次兄の家の長男と末の息子は、二人とも市内の学校へ行っていたので、まだ、どうなっているかわからないのであった。人はつぎつぎに死んで行き、死骸はそのまま放ってある。救いのない気持で人はそわそわ歩いている。それなのに、練兵場の方では、いま自棄《やけ》に嚠喨《りゅうりょう》として喇叭《らっぱ》が吹奏されていた。
火傷した姪たちはひどく泣喚くし、女中は頻《しき》りに水をくれと訴える。いい加減、みんなほとほと弱っているところへ、長兄が戻って来た。彼は昨日は嫂の疎開先である廿日市《はつかいち》町の方へ寄り、今日は八幡村の方へ交渉して荷馬車を傭《やと》って来たのである。そこでその馬車に乗って私達はここを引上げることになった。
馬車は次兄の一家族と私と妹を乗せて、東照宮下から饒津《にぎつ》へ出た。馬車が白島から泉邸入口の方へ来掛った時のことである。西練兵場寄りの空地に、見憶《みおぼ》えのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行った。嫂も私もつづいて馬車を離れ、そこへ集った。見憶えのあるずぼんに、まぎれもないバンドを締めている。死体は甥《おい》の文彦であった。上着は無く、胸のあたりに拳大《こぶしだい》の腫《は》れものがあり、そこから液体が流れている。真黒くなった顔に、白い歯が微《かす》かに見え、投出した両手の指は固く、内側に握り締め、爪が喰込んでいた。その側に中学生の屍体が一つ、それから又離れたところに、若い女の死体が一つ、いずれも、ある姿勢のまま硬直していた。次兄は文彦の爪を剥《は》ぎ、バンドを形見にとり、名札をつけて、そこを立去った。涙も乾きはてた遭遇であった。
馬車はそれから国泰寺の方へ出、住吉橋を越して己斐《こい》の方へ出たので、私は殆《ほとん》ど目抜《めぬき》の焼跡を一覧することが出来た。ギラギラと炎天の下に横わっている銀色の虚無のひろがりの中に、路《みち》があり、川があり、橋があった。そして、赤むけの膨れ上った屍体がところどころに配置されていた。これは精密|巧緻《こうち》な方法で実現された新地獄に違いなく、ここではすべて人間的なものは抹殺《まっさつ》され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換えられているのであった。苦悶《くもん》の一瞬|足掻《あが》いて硬直したらしい肢体は一種の妖《あや》しいリズムを含んでいる。電線の乱れ落ちた線や、おびただしい破片で、虚無の中に痙攣《けいれん》的の図案が感じられる。だが、さっと転覆して焼けてしまったらしい電車や、巨大な胴を投出して転倒している馬を見ると、どうも、超現実派の画の世界ではないかと思えるのである。国泰寺の大きな楠《くすのき》も根こそぎ転覆していたし、墓石も散っていた。外郭だけ残っている浅野図書館は屍体収容所となっていた。路はまだ処々で煙り、死臭に満ちている。川を越すたびに、橋が墜ちていないのを意外に思った。この辺の印象は、どうも片仮名で描きなぐる方が応《ふさ》わしいようだ。それで次に、そんな一節を挿入《そうにゅう》しておく。
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ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ
パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニオイ
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倒壊の跡のはてしなくつづく路を馬車は進んで行った。郊外に出ても崩れている家屋が並んでいたが、草津をすぎると漸くあたりも青々として災禍の色から解放されていた。そして青田の上をすいすいと蜻蛉《とんぼ》の群が飛んでゆくのが目に沁《し》みた。それから八幡村までの長い単調な道があった。八幡村へ着いたのは、日もとっぷり暮れた頃であった。そして翌日から、その土地での、悲惨な生活が始った。負傷者の恢復《かいふく》もはかどらなかったが、元気だったものも、食糧不足からだんだん衰弱して行った。火傷した女中の腕はひどく化膿《かのう》し、蠅《はえ》が群れて、とうとう蛆《うじ》が湧《わ》くようになった。蛆はいくら消毒しても、後から後から湧いた。そして、彼女は一カ月あまりの後、死んで行った。
この村へ移って四五日目に、行方不明であった中学生の甥が帰って来た。彼はあの朝、建もの疎開のため学校へ行ったが恰度《ちょうど》、教室にいた時光を見た。瞬間、机の下に身を伏せ、次いで天井が墜《お》ちて埋れたが、隙間《すきま》を見つけて這い出した。這い出して逃げのびた生徒は四五名にすぎず、他は全部、最初の一撃で駄目になっていた。彼は四五名と一緒に比治山《ひじやま》に逃げ、途中で白い液体を吐いた。それから一緒に逃げた友人の処へ汽車で行き、そこで世話になっていたのだそうだ。しかし、この甥もこちらへ帰って来て、一週間あまりすると、頭髪が抜け出し、二日位ですっかり禿《はげ》になってしまった。今度の遭難者で、頭髪が抜け鼻血が出だすと大概助からない、という説がその頃大分ひろまっていた。頭髪が抜けてから十二三日目に、甥はとうとう鼻血を出しだした。医者はその夜が既にあぶなかろうと宣告していた。しかし、彼は重態のままだんだん持ちこたえて行くのであった。
Nは疎開工場の方へはじめて汽車で出掛けて行く途中、恰度汽車がトンネルに入った時、あの衝撃を受けた。トンネルを出て、広島の方を見ると、落下傘《らっかさん》が三つ、ゆるく流れてゆくのであった。それから次の駅に汽車が着くと、駅のガラス窓がひどく壊れているのに驚いた。やがて、目的地まで達した時には、既に詳しい情報が伝わっていた。彼はその足ですぐ引返すようにして汽車に乗った。擦れ違う列車はみな奇怪な重傷者を満載していた。彼は街の火災が鎮《しず》まるのを待ちかねて、まだ熱いアスファルトの上をずんずん進んで行った。そして一番に妻の勤めている女学校へ行った。教室の焼跡には、生徒の骨があり、校長室の跡には校長らしい白骨があった。が、Nの妻らしいものは遂《つい》に見出《みいだ》せなかった。彼は大急ぎで自宅の方へ引返してみた。そこは宇品の近くで家が崩れただけで火災は免れていた。が、そこにも妻の姿は見つからなかった。それから今度は自宅から女学校へ通じる道に斃《たお》れている死体を一つ一つ調べてみた。大概の死体が打伏《うつぶ》せになっているので、それを抱き起しては首実検するのであったが、どの女もどの女も変りはてた相をしていたが、しかし彼の妻ではなかった。しまいには方角違いの処まで、ふらふらと見て廻った。水槽の中に折重なって漬《つか》っている十あまりの死体もあった。河岸《かし》に懸っている梯子《はしご》に手をかけながら、その儘《まま》硬直している三つの死骸があった。バスを待つ行列の死骸は立ったまま、前の人の肩に爪を立てて死んでいた。郡部から家屋疎開の勤労奉仕に動員されて、全滅している群も見た。西練兵場の物凄《ものすご》さといったらなかった。そこは兵隊の死の山であった。しかし、どこにも妻の死骸はなかった。
Nはいたるところの収容所を訪ね廻って、重傷者の顔を覗《のぞ》き込んだ。どの顔も悲惨のきわみではあったが、彼の妻の顔ではなかった。そうして、三日三晩、死体と火傷患者をうんざりするほど見てすごした挙句《あげく》、Nは最後にまた妻の勤め先である女学校の焼跡を訪れた。
[#地から2字上げ](昭和二十二年六月号『三田文学』)
底本:「夏の花・心願の国」新潮文庫、新潮社
1973(昭和48)年7月30日発行
2000(平成12)年4月25日39刷改版
初出:「三田文学」
1947(昭和22)年6月号
※本作品は、「夏の花」三部作(「壊滅の序曲」「夏の花」「廃墟から」)のうちの一つである。底本では、「壊滅の序曲」「夏の花」「廃墟から」の順に収録されている。これは作品内容上の時間的な配列となっている。発表順は、「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」である。
※冒頭の三行は、「夏の花」三部作全体のはじめに掲げられているものである。
入力:砂場清隆
校正:noriko saito
2005年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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