、大急ぎで階段の下に身を潜めたため、あまり負傷を受けなかった。みんな、はじめ自分の家だけ爆撃されたものと思い込んで、外に出てみると、何処も一様にやられているのに唖然《あぜん》とした。それに、地上の家屋は崩壊していながら、爆弾らしい穴があいていないのも不思議であった。あれは、警戒警報が解除になって間もなくのことであった。ピカッと光ったものがあり、マグネシュームを燃すようなシューッという軽い音とともに一瞬さっと足もとが回転し、……それはまるで魔術のようであった、と妹は戦きながら語るのであった。
 向岸の火が鎮まりかけると、こちらの庭園の木立が燃えだしたという声がする。かすかな煙が後の藪の高い空に見えそめていた。川の水は満潮の儘《まま》まだ退《ひ》こうとしない。私は石崖《いしがけ》を伝って、水際《みずぎわ》のところへ降りて行ってみた。すると、すぐ足許のところを、白木の大きな函《はこ》が流れており、函から喰《は》み出た玉葱《たまねぎ》があたりに漾《ただよ》っていた。私は函を引寄せ、中から玉葱を掴《つか》み出しては、岸の方へ手渡した。これは上流の鉄橋で貨車が顛覆《てんぷく》し、そこからこの函は放り出されて漾って来たものであった。私が玉葱を拾っていると、「助けてえ」という声がきこえた。木片に取縋《とりすが》りながら少女が一人、川の中ほどを浮き沈みして流されて来る。私は大きな材木を選ぶとそれを押すようにして泳いで行った。久しく泳いだこともない私ではあったが、思ったより簡単に相手を救い出すことが出来た。
 暫く鎮まっていた向岸の火が、何時《いつ》の間にかまた狂い出した。今度は赤い火の中にどす黒い煙が見え、その黒い塊が猛然と拡《ひろが》って行き、見る見るうちに焔の熱度が増すようであった。が、その無気味な火もやがて燃え尽すだけ燃えると、空虚な残骸《ざんがい》の姿となっていた。その時である、私は川下の方の空に、恰度《ちょうど》川の中ほどにあたって、物凄《ものすご》い透明な空気の層が揺れながら移動して来るのに気づいた。竜巻《たつまき》だ、と思ううちにも、烈しい風は既に頭上をよぎろうとしていた。まわりの草木がことごとく慄《ふる》え、と見ると、その儘引抜かれて空に攫《さら》われて行く数多《あまた》の樹木があった。空を舞い狂う樹木は矢のような勢で、混濁の中に墜ちて行く。私はこの時、あたりの空気がどんな色彩であったか、はっきり覚えてはいない。が、恐らく、ひどく陰惨な、地獄絵巻の緑の微光につつまれていたのではないかとおもえるのである。
 この竜巻が過ぎると、もう夕方に近い空の気配が感じられていたが、今迄姿を見せなかった二番目の兄が、ふとこちらにやって来たのであった。顔にさっと薄墨色の跡があり、脊のシャツも引裂かれている。その海水浴で日焦《ひやけ》した位の皮膚の跡が、後には化膿《かのう》を伴う火傷《やけど》となり、数カ月も治療を要したのだが、この時はまだこの兄もなかなか元気であった。彼は自宅へ用事で帰ったとたん、上空に小さな飛行機を認め、つづいて三つの妖《あや》しい光を見た。それから地上に一間あまり跳ね飛ばされた彼は、家の下敷になって藻掻いている家内と女中を救い出し、子供二人は女中に托《たく》して先に逃げのびさせ、隣家の老人を助けるのに手間どっていたという。
 嫂《あによめ》がしきりに別れた子供のことを案じていると、向岸の河原《かわら》から女中の呼ぶ声がした。手が痛くて、もう子供を抱《かか》えきれないから早く来てくれというのであった。
 泉邸の杜《もり》も少しずつ燃えていた。夜になってこの辺まで燃え移って来るといけないし、明るいうちに向岸の方へ渡りたかった。が、そこいらには渡舟も見あたらなかった。長兄たちは橋を廻って向岸へ行くことにし、私と二番目の兄とはまた渡舟を求めて上流の方へ溯《さかのぼ》って行った。水に添う狭い石の通路を進んで行くに随《したが》って、私はここではじめて、言語に絶する人々の群を見たのである。既に傾いた陽ざしは、あたりの光景を青ざめさせていたが、岸の上にも岸の下にも、そのような人々がいて、水に影を落していた。どのような人々であるか……。男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫《は》れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇《くちびる》は思いきり爛《ただ》れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横《よこた》わっているのであった。私達がその前を通って行くに随ってその奇怪な人々は細い優しい声で呼びかけた。「水を少し飲ませて下さい」とか、「助けて下さい」とか、殆どみんながみんな訴えごとを持っているのだった。
「おじさん」と鋭い哀切な声で私は呼びとめられていた。見ればすぐそこの川の中には、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬《つか》って死んでいたが、その屍体《したい》と半間も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲っていた。その顔は約一倍半も膨脹し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残している。これは一目見て、憐愍《れんびん》よりもまず、身の毛のよだつ姿であった。が、その女達は、私の立留ったのを見ると、
「あの樹のところにある蒲団は私のですからここへ持って来て下さいませんか」と哀願するのであった。
 見ると、樹のところには、なるほど蒲団らしいものはあった。だが、その上にはやはり瀕死《ひんし》の重傷者が臥《ふ》していて、既にどうにもならないのであった。
 私達は小さな筏《いかだ》を見つけたので、綱を解いて、向岸の方へ漕《こ》いで行った。筏が向うの砂原に着いた時、あたりはもう薄暗かったが、ここにも沢山の負傷者が控えているらしかった。水際に蹲っていた一人の兵士が、「お湯をのましてくれ」と頼むので、私は彼を自分の肩に依り掛からしてやりながら、歩いて行った。苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだ方がましさ」と吐き棄《す》てるように呟《つぶや》いた。私も暗然として肯《うなず》き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤《いきどお》りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。私は彼を中途に待たしておき、土手の上にある給湯所を石崖の下から見上げた。すると、今湯気の立昇っている台の処《ところ》で、茶碗《ちゃわん》を抱えて、黒焦《くろこげ》の大頭がゆっくりと、お湯を呑《の》んでいるのであった。その厖大《ぼうだい》な、奇妙な顔は全体が黒豆の粒々で出来上っているようであった。それに頭髪は耳のあたりで一直線に刈上げられていた。(その後、一直線に頭髪の刈上げられている火傷者を見るにつけ、これは帽子を境に髪が焼きとられているのだということを気付くようになった。)暫くして、茶碗を貰《もら》うと、私はさっきの兵隊のところへ持運んで行った。ふと見ると、川の中に、これは一人の重傷兵が膝《ひざ》を屈《かが》めて、そこで思いきり川の水を呑み耽《ふけ》っているのであった。
 夕闇《ゆうやみ》の中に泉邸の空やすぐ近くの焔があざやかに浮出て来ると、砂原では木片を燃やして夕餉《ゆうげ》の焚《た》き出《だ》しをするものもあった。さっきから私のすぐ側に顔をふわふわに膨らした女が横わっていたが、水をくれという声で、私ははじめて、それが次兄の家の女中であることに気づいた。彼女は赤ん坊を抱えて台所から出かかった時、光線に遭い、顔と胸と手を焼かれた。それから、赤ん坊と長女を連れて兄達より一足さきに逃げたが、橋のところで長女とはぐれ、赤ん坊だけを抱えてこの河原に来ていたのである。最初顔に受けた光線を遮《さえぎ》ろうとして覆《おお》うた手が、その手が、今も捩《も》ぎとられるほど痛いと訴えている。
 潮が満ちて来だしたので、私達はこの河原を立退《たちの》いて、土手の方へ移って行った。日はとっぷり暮れたが、「水をくれ、水をくれ」と狂いまわる声があちこちできこえ、河原にとり残されている人々の騒ぎはだんだん烈しくなって来るようであった。この土手の上は風があって、睡《ねむ》るには少し冷々していた。すぐ向うは饒津公園であるが、そこも今は闇に鎖《とざ》され、樹の折れた姿がかすかに見えるだけであった。兄達は土の窪《くぼ》みに横わり、私も別に窪地をみつけて、そこへ這入《はい》って行った。すぐ側には傷ついた女学生が三四人|横臥《おうが》していた。
「向うの木立が燃えだしたが逃げた方がいいのではないかしら」と誰かが心配する。窪地を出て向うを見ると、二三町さきの樹に焔がキラキラしていたが、こちらへ燃え移って来そうな気配もなかった。
「火は燃えて来そうですか」と傷ついた少女は脅えながら私に訊《き》く。
「大丈夫だ」と教えてやると、「今、何時頃でしょう、まだ十二時にはなりませんか」とまた訊く。
 その時、警戒警報が出た。どこかにまだ壊れなかったサイレンがあるとみえて、かすかにその響がする。街の方はまだ熾《さか》んに燃えているらしく、茫《ぼう》とした明りが川下の方に見える。
「ああ、早く朝にならないのかなあ」と女学生は嘆く。
「お母さん、お父さん」とかすかに静かな声で合唱している。
「火はこちらへ燃えて来そうですか」と傷ついた少女がまた私に訊《たず》ねる。
 河原の方では、誰か余程元気な若者らしいものの、断末魔のうめき声がする。その声は八方に木霊《こだま》し、走り廻っている。「水を、水を、水を下さい、……ああ、……お母さん、……姉さん、……光ちゃん」と声は全身全霊を引裂くように迸《ほとばし》り、「ウウ、ウウ」と苦痛に追いまくられる喘《あえ》ぎが弱々しくそれに絡《から》んでいる。――幼い日、私はこの堤を通って、その河原に魚を獲《と》りに来たことがある。その暑い日の一日の記憶は不思議にはっきりと残っている。砂原にはライオン歯磨《はみがき》の大きな立看板があり、鉄橋の方を時々、汽車が轟《ごう》と通って行った。夢のように平和な景色があったものだ。

 夜が明けると昨夜の声は熄《や》んでいた。あの腸《はらわた》を絞る断末魔の声はまだ耳底に残っているようでもあったが、あたりは白々と朝の風が流れていた。長兄と妹とは家の焼跡の方へ廻り、東練兵場に施療所があるというので、次兄達はそちらへ出掛けた。私もそろそろ、東練兵場の方へ行こうとすると、側《そば》にいた兵隊が同行を頼んだ。その大きな兵隊は、余程ひどく傷ついているのだろう、私の肩に凭掛《よりかか》りながら、まるで壊れものを運んでいるように、おずおずと自分の足を進めて行く。それに足許《あしもと》は、破片といわず屍《しかばね》といわずまだ余熱を燻《くすぶ》らしていて、恐しく嶮悪《けんあく》であった。常盤橋《ときわばし》まで来ると、兵隊は疲れはて、もう一歩も歩けないから置去りにしてくれという。そこで私は彼と別れ、一人で饒津公園の方へ進んだ。ところどころ崩れたままで焼け残っている家屋もあったが、到《いた》る処、光の爪跡《つめあと》が印されているようであった。とある空地《あきち》に人が集っていた。水道がちょろちょろ出ているのであった。ふとその時、姪《めい》が東照宮の避難所で保護されているということを、私は小耳に挿《はさ》んだ。
 急いで、東照宮の境内へ行ってみた。すると、いま、小さな姪は母親と対面しているところであった。昨日、橋のところで女中とはぐれ、それから後は他所《よそ》の人に従《つ》いて逃げて行ったのであるが、彼女は母親の姿を見ると、急に堪《た》えられなくなったように泣きだした。その首が火傷《やけど》で黒く痛そうであった。
 施療所は東照宮の鳥居の下の方に設けられていた。はじめ巡査が一通り原籍年齢などを取調べ、それを記入した紙片を貰《もろ》うてからも、負傷者達は長い行列を組んだまま炎天の下にまだ一時間位は待たされているのであった。だが、この行列に加われる負傷者ならまだ結構な方かもしれないのだった。今も、「兵隊さん、兵隊さん、助けてよう、兵隊さん」と火のついたように泣喚《なきわめ》く声がする。路傍に斃《たお》れて反転する火傷の
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