ぶとそれを押すやうにして泳いで行つた。久しく泳いだこともない私ではあつたが、思つたより簡単に相手を救ひ出すことが出来た。
暫く鎮まつてゐた向岸の火が、何時の間にかまた狂ひ出した。今度は赤い火の中にどす黒い煙が見え、その黒い塊りが猛然と拡がつて行き、見る見るうちに焔の熱度が増すやうであつた。が、その無気味な火もやがて燃え尽すだけ燃えると、空虚な残骸の姿となつてゐた。その時である、私は川下の方の空に、恰度川の中ほどにあたつて、物凄い透明な空気の層が揺れながら移動して来るのに気づいた。竜巻だ、と思ふうちにも、烈しい風は既に頭上をよぎらうとしてゐた。まはりの草木がことごとく慄へ、と見ると、その儘引抜かれて空に攫はれて行く数多の樹木があつた。空を舞ひ狂ふ樹木は矢のやうな勢で、混濁の中に墜ちて行く。私はこの時、あたりの空気がどんな色彩であつたか、はつきり覚えてはゐない。が、恐らく、ひどく陰惨な、地獄絵巻の緑の微光につつまれてゐたのではないかとおもへるのである。
この竜巻が過ぎると、もう夕方に近い空の気配が感じられてゐたが、今迄姿を見せなかつた二番目の兄が、ふとこちらにやつて来たのであつた。顔に
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