は悲劇のあとの、ひたすら美しいものを、和やかなものを求めようとする祈りのこもっている表情のようでもあった。
中央公民館で行われた「世界平和と文化大講演会」では、聴衆は扉の外にまで溢れ、みんなが熱心に何かを求めている犇めきが感じられた。その中には、恐らく原爆体験者ともおもえる相当年輩の男女の顔もみかけられた。
私がもっとも心打たれたのは、講演会の後で行われた原爆体験者たちとの座談会であった。あの当時、一週間あまりというものは、まるで睡眠もとれず、負傷者の手あてに無我夢中だったという日赤の看護婦さんの声は、回想談でありながら、熱涙にふるえていた。
人類は悪魔の意思にゆだねられその指さきによって破滅するのだろうか。いま地球の一角ヒロシマで盛りあがってゆく平和への意思が、人類全体の意思を揺さぶり昂めることはできないのだろうか。
あのような地獄以上の体験を、たとえ自分はもう再び被らないとしても、地球のいかなる部分いかなる人の頭上にも、もはや再び被らせたくない、それこそは身をけずられるばかりの苦痛なのだ。こういう叫びは座談会に臨んだ体験者たちのひとしく口にするところであった。
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