オた。ちょうど、イギリスの女が、ひきがえる[#「ひきがえる」に傍点]やくも[#「くも」に傍点]を見たときのように、「きゃあ……」と叫んで、細君は跳びのきました。しかし、しばらくそばで見ているうちに、主人の手まねで私がいろんなことをするのを見て、細君はすっかり感心してしまいました。そして今度は、だん/\と私にやさしくしてくれるようになりました。
 正午頃になると、一人の召使が、食事を持って来ました。それはいかにも、お百姓の食事らしく、肉をたっぶり盛った皿が、たゞ一つだけ出されたのでした。しかし、それは直径が二十四フィートもある、大きなお皿でした。
 食堂には主人と細君と、子供が三人、それに、年寄の祖母がやって来ました。みんながテーブルに着くと、主人は私をテーブルの上にあげて、少し彼から離れたところに置きました。そのテーブルは高さ三十フィートもあるのですから、私は怖くてたまらないのです。落っこちないように、できるだけ、真中の方へよって行きました。
 細君は肉を少し、小さく刻んで、それから、パンをこな/″\に砕くと、それを私の前に置いてくれました。そこで、私は細君に向って、ていねいに、おじぎをして、ポケットから、ナイフとフォークを取り出して食べはじめました。みんなは、私の有様が面白くてたまらないようでした。
 細君は女中を呼んで、小さなコップを持って来させました。小さいといっても、三ガロン(約五升)は入りそうなコップですが、それに飲物を注いでくれました。それを私はやっと両手でかゝえあげると、まず、英語で、できるだけ大きな声を張り上げて、細君の健康を祝しました。それから、うや/\しくコップを頂戴しました。すると、みんなはお腹をかゝえて笑いだしましたが、その笑い声のもの凄さ、私は耳がつんぼ[#「つんぼ」に傍点]になるばかりでした。
 この飲物はサイダーのような味なので、私はおいしく、いたゞきました。しばらくすると、主人は私を手まねで、彼の皿のところへ来い、と招きました。しかし、なにしろ私はテーブルの上をビク/\しながら歩いているのでしたから、パンの皮に躓《つまず》くと、うつ伏せに、ペたんと倒れてしまいました。けれども、怪我はなかったのです。すぐに起き上りましたが、みんながひどく心配してくれるので、私は小脇にかゝえていた帽子を手に取り、頭の上で振りながら、「万歳!」と叫びました。これは転んでも、怪我はなかったということを、みんなに知ってもらうためでした。
 そのとき、主人の隣りに坐っていた、一番下の息子で、まだ十ばかりのいたずら児が、私の方へ手を伸したかとおもうと、いきなり、私の両足をつかまえ、宙に高くぶら下げました。私は手も足も、ブル/\ふるえつゞけました。しかし、主人は息子の手から、私を取り上げ、同時に彼の左の耳をピシャリと殴りつけました。それは、ヨーロッパの騎兵なら、六十人ぐらい叩きつけてしまいそうな殴り方でした。それから主人は息子に、向うへ行ってしまえ、と命令するのでした。
 しかし私は、この子供に怨まれはしないかと、心配でした。私はイギリスの子供たちも、雀や、兎や、小猫や、小犬に、よくいたずらをするのを知っています。そこで、私は主人の前にひざまずいてその息子を指さしながら、どうか、許してあげてください、と手まねで、私の気持を伝えました。私は息子のところへ行き、その手にキスしました。主人はその息子の手を取って、私をやさしくなでさせました。
 ちょうどこの食事の最中に、細君の飼っている猫がやって来て、細君の膝の上に跳び上りました。私はすぐ後の方で、何か十人あまりの職人が仕事でもはじめたような物音を聞きました。振り返ってみると、この猫が咽喉《のど》をゴロ/\鳴らしているのです。細君が食物をやったり、頭をなでている間に私はそっと、その猫を眺めてみましたが、その大きさは、まず、牡牛の三倍はありそうでした。私は五十フィートも離れて、猫から一番遠いところに、立っていたのですが、そして、細君は、猫が私に跳びかゝったり、爪を立てたりしないように、しっかり猫を押えていてくれたのですが、それでも、私はそのもの凄い顔が恐ろしくてならなかったのです。しかし危険なことは起らなかったのです。
 主人はわざと、私を猫の鼻の先三ヤードもないところに置きました。しかし、猫は見向きもしませんでした。猛獣というものは、こちらが逃げ出したり、怖がると、かえって追っかけて来て跳びかゝるものだ、ということを私は前に人から聞いて知っていました。それで、私は今いくら恐ろしくても知らん顔をしていよう、と決心しました。
 私は、猫の鼻先をわざと、五六回、行ったり来たりしてやりました。それから、ずっと側《そば》まで近づいて行ってみました。と、かえって猫の方が怖そうに後しざりするのでし
前へ 次へ
全63ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング