ス。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気の入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに陥ちました。
ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起るまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、彼は卵を探しまわっていたし、岩の割目から一つ二つ拾い上げている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かゞ、ぐい/\引っ張っているのです。と、つゞいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかり、そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞えるのでした。
で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落して割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭を嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
しばらくして、羽音が烈しくなったかと思うと、箱はまるで風の中の看板のようにひどく揺れだしました。と今度は何かズシンと鷲にぶっつかる音がして、突然、私はまっ逆さまに落ちて行くのを感じました。恐ろしい速さで、ほとんど息もできないくらいでした。それから一分ぐらいたつと、私の耳にはゴー/\とナイヤガラの滝のような音がして、何か凄いものに箱がぶつかっているように思えました。ふと、落ちてゆくのがやんだかとおもうと、あたりは真暗になりました。
それから一分もすると、こんどは箱がどん/\上にあがってゆき、窓の方から光が見えだしました。それで海の中へ落ちたことがはじめてわかりました。箱は私の身体や家具などの重みで、水の中に浸りながら浮いています。
私はそのとき、こう思いました。これはたぶん、箱をさらって逃げた鷲が、仲間の二三羽に追っかけられたのでしょう。そして、お互に箱の獲物を争い合っているうちに、思わず鷲は箱を放したのでしょう。この箱の底には鉄が張ってあるため、海に落ちても壊れなかったのです。部屋はぴったり、しまっていたので、水にも濡れなかったのです。そこで、私はハンモックからおりると、まず天井の引窓を開けて空気を入れ替えました。
私の箱は今にもバラ/\になるかもしれないのでした。大きな波一つで、箱はすぐひっくりかえるかもしれませんし、窓ガラス一つ壊れただけで駄目になります。こんな、あやうい状態で、私の箱は四時間ばかりたゞよっていました。ところが、この箱の窓のない側に、そのときふと何か軋むような音が聞えました。それから間もなく、何か私の箱が、海の上を引っ張られているような気がしました。とき/″\、グイと引かれたかとおもうと、窓の上あたりまで波が見えて、部屋の中が暗くなります。これは助かるのかしらと、ふと私は希望が湧いてきました。そこで、私はできるだけ口を窓に近づけて、大声で助けを呼んでみました。それからステッキの先にハンカチを結んで、穴から出して振ってみました。もし船でもそばにいるのなら、この箱の中に私がいることを知ってもらいたかったからです。
しかし何の手応えもないのでした。たゞ、部屋がドン/\動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞えてきました。それから、そろ/\と箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が二三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、
「誰かいるなら返事をしろ。」
とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。
「私はイギリス人です。今こゝでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」
と、私は一生懸命、
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