lは人目につかない場所にそっと葬られます。臨終だといって、誰も悲しんだりするものはありません。死んでゆく本人でさえ、ちょっとも悲しそうな顔はしていないのです。
 彼等は大てい、七十か七十五まで生きます。たまには八十まで生きるものもいます。死ぬ二三週間前になると、だん/\身体が弱ってきますが、別につらくはないのです。そうなると、友達が次々に訪ねて来ます。つまり、気楽にちょっと外出するようなことができないからです。いよ/\死ぬ十日前頃には、今度は橇《そり》に乗って、ヤーフどもに引かせて、ごく近所の人たちだけに答礼に出かけてゆきます。彼は答礼先へ着くと、まず、お別れの挨拶をのべるのですが、それはまるで、どこか遠いところへ旅行するときの別れのような恰好なのです。
 私は、主人の家から六ヤードばかり離れたところに、自分の室を一つ作らせてもらいました。
 壁は自分で塗り、床には自分で作った筵《むしろ》を敷きました。この国には麻が多いので、それを打って、蒲団のおゝいを作り、その中に鳥の羽毛を詰めました。骨の折れる仕事は子馬に手伝ってもらい、小刀で椅子を二つこしらえました。服が擦り切れると、これは兎の皮で代りを作りました。この皮からは、立派な靴下もできました。私はよく木のうろ[#「うろ」に傍点]から蜜を取って来て、水に混ぜて飲んだり、パンにつけて食べました。
 私は、主人のところへ訪ねて来る、フウイヌムのお客たちとも、知り合いになりました。
 主人の部屋に、私の方から出かけて行くこともあり、ときには、主人やお客が、私の部屋に訪ねて来ることもあります。それから、またときには、主人のお供をして、お客の家に訪ねて行くこともありました。
 私は質問に答えるほかは、こちらから口を出して、しゃべったりするようなことはしなかったのです。たゞ、そばで彼等の話を聞いていれば、それだけで、私は気持よかったのです。
 彼等の話は、ちょっとも無駄なところがなく、簡単で、はっきりしていました。ちゃんと礼儀は守られていて、堅苦しいところがないのです。しゃべることは、話す方も楽しければ、聞く方も気持よくなるようなことばかりです。じゃま[#「じゃま」に傍点]も入らねば、退屈もなく、のぼせたり、争ったりするようなことはないのです。
 彼等は大てい、友情とか、慈善とか、秩序とか、経済などのことを話し合います。それから
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