、つぎつぎに読んで行くうちに、僕はもつとさまざまのことを考へさせられました。この四つの世界は起承転結の配列によつて、みごとに効果をあげてゐるやうですが、僕を少しぞつとさせるのは、あの怪談に似た手のこんだ構成法でした。
 小人国からの帰りに、ガリヴアは船長にむかつて体験談をすると、てつきり頭がどうかしてゐると思はれます。そこでポケツトから小さな牛や羊をとり出して見せるのです。そして、その豆粒ほどの家畜をイギリスに持つて帰つて飼つたなどといふところは、まだ軽い気分で読めます。しかし、大人国からの帰りには、ガリヴアは箱のなかにゐて、鷲にさらはれて海に墜されて、船で救はれるのですが、ここでも船員たちとガリヴアとの感覚がまるで喰ひちがつてゐます。最初私を発見したとき何か大きな鳥でも空を飛んでゐなかつたかと、ガリヴアが訊ねると、船員の一人は、鷲が三羽北を指して飛んでゐるのを見た、が大きさは別に普通の鷲と変つたところはなかつたと答へます。もつとも非常に高く飛んでゐたので小さく見えたのだらうとガリヴアは考へるのですが、これは少し念が入りすぎてゐるやうです。そして、こんな手法は馬の国からの帰航では更らに陰鬱の度を加へてくりかへされてゐます。ここでは人間社会から逃げようと試みるガリヴアの悲痛な姿がまざまざと目に見えるほど真に迫つて訴へて来ますが、奇妙なのは船長とガリヴアの問答です。はじめ彼の話を疑つてゐた船長が、さういへば、ニユーホランドの南の島に上陸して、ヤーフそつくりの五六匹の生物を一匹の馬が追ひたててゆくのを見たといふ人の話をおもひだした、といふ一節があります。実に短かい一節ながら、ここを読まされると、何かぞつと厭やなものがひびいて来ます。何のために、こんな念の入つたフイクシヨンをつくらねばならなかつたのかと、僕には、何だが痛たましい気持さへしてくるのです。
 身振りで他国の言語を覚えてゆくとか、物の大小の対比とか、さういふ発想法はガリヴア全編のなかで繰返されてゐます。この複雑な旅行記も、結局は五つか六つの回転する発想法に分類できさうです。だが、それにしても、一番、人をハツとさすのは、ヤーフが光る石(黄金)を熱狂的に好むといふところでせう。僕は戦時中、この馬の国の話を読んでゐて、この一節につきあたり、ひどく陰惨な気持にされたものです。陰鬱といへば、この物語を書いた作者が発狂して、
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