だ、設けた、親にある筈です。其期間親は当然凡ての責任を持ち得なければなりません。さう考へて来て私は私の責任観念を果すには恁うする外に道がなかつたのです。これが私として採るべき唯一の道だと思つたのです。只それ丈けでした。其外何にも考へませんでした」
私はこんな意味の事を云ひましたの。一生懸命でね。判つて貰はなくともいゝから云ふ丈けは云はうと思ひましてね。云つて了つたら私の目から又無暗に涙が流れました。貴方にお話した時も私は矢鱈と泣きましたね。自分の口へまだ出て来ない言葉に先から感激して涙の方が先に出て来た様な風にね。今度もさうなんです。私は語を切ると涙がはら/\と落ちましたの。悲しい涙でも口惜しい涙でもそんな意味のある涙ではないのです。私の声の一ツ/\の響が涙管を震はして涙の玉を振り落す様に只々はら/\こぼれるんですの。其時私は
「実に怖ろしいツ」
と云ふ法官の声を聞きました。
私は一日中変化と云つては殆ど三度の食事を運ばれる時丈けです。あとは終日灰色の世界でこの時間と次ぎの時間の区別のつかない時の中にゐます。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]中で間断なく働いてるものは血と頭丈けです。ね、貴方は私が毎日壁を熟視《みつ》め乍ら怩つと考へてる姿を考へられるでせう。ほんとに私は考の中に埋つて居ますの。そして考へ出しても私は法官の前で云つた私の考の何処にも否点を見出しません。私はほんとに小さい愛情の虜にならずに了つた事を考へて居ます。
私達は私達の今出来る丈けの働きをして居ますのね。二人はほんとに働く事が休息の様に働ける丈け働いて居ますはね。それでも私達はよく食べる物がなくなりました。一日に一度外切餅が食べられない日もありました。暑くなつても薄い着物がなくて仕方がないので貴方が一日裸体で床《とこ》へ這入つて被入る間に大急ぎで洗つて張つて縫ひ直した事があつたでせう。夜半までかゝつてね。私と貴方なら怎んなにしても生きられますはね。然し私は勝手に産んだ児に迄恁那生活を強ひる権利はありません。思想上からだつてさうです。私の廻りには大勢のお母さんと大勢のお父さんが居るでせう。私は其中の一人にも満足して居ません。私は彼等の様に凡ての点に貧弱で児に見《まみ》える度強を持して居ませんもの。と云つて私は一度も私も両親に不平や不満を抱いたこと
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