――丈けを親が引出し育てて遣らなければならない責任があるのですから。然も必ず過まる事なしに引出し育てなければならないのですから非常な責任を感じないわけには参りませんのです。間違つたら遣り直せばいゝと云ふ事は自分の外用ひられない言葉ですもの」
斯う云つて私は決して軽卒や自分勝手でない事も説きましたの。私は貴方とも口を聞かずに幾日も幾日も考へて居ましたでせう。それを皆話しましたの。
「兎に角自分が不用意の為に斯うなつたのだから、姙娠して了つたのだから、私の出来る丈けの努力を生れる子に尽さう。それで足りない処は仕外のない事だから我慢して貰ふ。兎に角私は私の出来る丈けの力を産れる児に向ければいゝのだ」
私が姙娠を知つた始めに斯う思つた事も話しましたの。すると法官はそれが正しいと云はぬ許りに幾度も幾度も合黙《うなづ》きました。けれど私が又話を進めなかつた時はもう其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]気色は見えませんでした。
三
私は斯う云ひましたの。
「始めはさう決心したのですけど、もう一歩考を進めた時、それは私には都合がいゝが産れて来るものには何にも関係のない事だと気が付きました。親は始めから自分の継承者を世に出すなんて事は少しも意識しないうちに子供を産みます。少くも私はさうでした。そして勿論子供から産んで呉れと頼まれた事もありません。そんな無意識のうちに不用意のうちに、尊い一箇の生命を無から有に提供すると云ふ事は、然も其責任をまだ当然持ち得ないと自覚して居たとしたら、此れ程世の中に恐ろしい事があるでせうか。これが生命を単独に形造つて胎外に出て了つてからならば、務めても出来ない不満は涙を呑んでも我慢しなければならないでせうが、まだ其処まで単独のものでなく母胎の命の中の一物であるうちに母が胎児の幸福と信ずる信念通りにこれを左右する事は母の権内にあつていゝ事と思ひます。母が死ねば当然胎児も死ぬ運命ですし、猶母の命を助ける為に胎児を殺す事は公に許されてる事の様に承知して居ました。私は母の為に児を捨てたのではなく、児の為に児を捨てたのでした。自分一己の事なら間違つたら遣り直す事も出来ます。粉砕され様と干死なりとそれは自分の事ですが、縦《たと》へ子供でも一度び胎外へ出てはもう親とは別の箇体です。然も或時期までの全責任は産ん
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