を見ると、眉をしかめて継母を叱りつけ、直吉に向きなほつて皮肉を云ふのだ。
「あンた、お母さんが好きなのなら、お母さんを連れて、何処かへ行つてくれるといゝンだ」
「ほう、俺がおふくろを連れて出るのかい?家さへみつかれば連れて行つてやつてもいゝさ。――俺はね、戦争へ長く行きすぎたし、年もとつたし、苦労もしたンだ。どう焦つたところで、奇妙な世の中なんだ。奇妙でないのは、この狂人だけぢやねえか‥‥。それだけの話だ。俺が狂人とどんなつながりがあるンだい。何もしらねえよ。知つてゐるのは親爺とお前だけだ‥‥。どうして、こんな狂人になつたンだい? 俺はこのおふくろが子供みてえに可哀想だと思つてるきりなンだぜ‥‥。面倒がみきれないとあれば、病院へでも入れてやりやアいゝンだ」
 直吉は、三人の男達が、身を粉にして働いて千万長者になつたところで、この狂つた継母はびくともしないのだと思ふと痛快な気がしてゐる。世の中がどのやうに引つくり返へつたところで、継母は自然のまゝなのだと思つた。まともな人間に抵抗出来なくなつてゐる継母の方が、直吉にははるかに水々しかつたし、まともな人間に見えてくる。
「僕は、早くこの狂人が死んでくれればいゝと思つてるンだ。家の中が暗くてたまらない。くたばつてしまへばいゝンだよ。食気ばかり強くて、留守の間に、食ひ物はみんなたひらげてしまつてやがる‥‥。怒るとふてね[#「ふてね」に傍点]して知らん顔してる。僕はこんな狂人を養ふ為に働いているンぢやないツ」
「なるほどね、そりやアさうだ。いつそ、汽車へでも乗せて、何処か遠くへ捨てて来たらどうなンだい! それも出来ないとあれば、俺達三人で、この狂人を殺してしまふのもいゝね。何時でも俺は手伝つてやるよ‥‥」
 隆吉は黙つてしまふ。父は厭な顔をして、店の方へ出て行く。直吉は意地の悪い微笑を浮べて、小さい声で云つた。
「なあに、いまに、俺だつて、どうなるか知れたものぢやない。その時になつたら、俺が、一人で、おふくろの首ぐらゐはしめてやる。案じる事はないさ‥‥。革命でもあれば、俺は真先きに飛び出して行く勇気があるンだぜ‥‥。お前、そんな事は何でもありやしない。――お前だつて、心のなかぢやア、何だつて考へるだらう‥‥。誰にも嗾かされないでも考へてるンだ‥‥やるかやれないかだ。俺は内地へ戻つてから、少しづつ無頼漢になる修業もしてるンだから
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