のは内容のかわった恋愛と云う意味ではなく、整理のついた恋愛を云うのかも知れないけれども、すぐ泥にまみれたかたちになってしまう。――懶惰《らんだ》で無気力な恋愛がある。仕事の峠《とうげ》に立った、中年のひとたちの恋愛はおおかたこれだ。
 この間も、ある女友達がやって来て、あなたはいま恋愛をしていないのかと訊《き》く。恋愛もいいけれど怖いようなと云うと、その友達は恋愛になまけてしまってはいけない、恋をすれば、仕事も逞《たく》ましくなり、躯《からだ》も元気になるものだと話していた。
 その友達の話して行った中、こんな例がある。子供が二人あって、良人《おっと》に死別した絵を描く若い寡婦が、恋の気持ちを失って来ると、心がだんだん乾いて来て、生活がみじめになって、絵もまずくなり、容貌も衰えて、どうして生きていいのか解らなかったのだけれども、ふとすきな青年をみつけて、その男と仲よくなってしまったら、急に容貌も生々と美しくなり、絵もうまくなり、そうして、何より面白いことには、二人の子供を叱《しか》らなくなったと云うことだ。恋愛のない時分は、いつも苛々《いらいら》していて、朝から晩まで子供ばかり叱ってい
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