様をかえてみたりした。十畳《じゅうじょう》位の部屋に小さい机が一ツに硯箱《すずりばこ》のいいのでもあったらと云うのが理想なのだが、三輪の家は物置きのようにせまくて、ちょっと油断しているとすぐ散らかって困った。――私は欧洲から帰って来ると、すぐまた戸隠山へ出掛けた。山で一ヶ月を暮らして帰って来ると、尾崎さんは躯《からだ》を悪くして困っていた。ミグレニンの小さい罎《びん》を二日であけてしまうので、その作用なのか、夜になるとトンボが沢山飛んで行っているようだと云ったり、雁が家の中へ這入って来るようだと、夜更けまで淋しがって私を離さなかった。
 眼の下の草原には随分草がほうけてよく虫が鳴いた。「随分虫が鳴くわねえ」と云うと、「貴女も少し頭が変よ、あれはラヂオよ」と云ったりした。私も空を見ていると本当にトンボが飛んで来そうに思えた。風が吹くと本当に雁が部屋の中に這入って来そうに思えた。ヴェランダに愉しみに植えていた幾本かの朝顔の蔓《つる》もきり取ってしまってあった。そんな状態で躰《からだ》がつかれていたのか、尾崎さんはもう秋になろうとしている頃、国から出て来られたお父さんと鳥取へ帰って行かれた。
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