来たような気がした。両親は私の書くものを一番ケイベツしていたので、その申しひらきの見得《みえ》もありなかなかに人生ユカイなものの一つであったのだ。
家の前には井戸があった。朝夕この井戸はにぎわって、子供たちが沢山群れていた。私は玄関の前に茣蓙《ござ》を敷いて子供たちと飯事《ままごと》をして遊んだ。一生のうち此様な幸福な事はないと思った。夕刊小説は出来がよくなかったが、色々な人が金を貰いに来た。私は子供たちと茣蓙の上で遊びながら、お金を貰いに、本所《ほんじょ》から歩いて来たとか深川から歩いて来たとか云う人たちに、「林さんはさっき出て行きましたよ」と嘘を云った。中には、貴女《あなた》は女中さんですかお妹さんですかと訊くひともあったが、写真に出ている顔は満足に私に似ているのがないので、誰も不思議がりもせず帰って行った。
初めの頃は正直に一円二円と上げていたのだが、日に三、四人も来られると、まるで話しあわされたようで、もう不快で仕方がなかった。餅や菓子をくれと云う人の方がよっぽど好意がもてた。
落合川をへだてた丘の下落合には、片岡鉄兵《かたおかてっぺい》さんや、吉屋信子《よしやのぶこ》さ
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