する事になった。原稿が売れると云っても、まだまだ国へまで送金どころか、自分たちの口が時々|干上《ひあが》るのが多くて、私はその日も勤め口を探して足をつっぱらして帰ったのであった。玄関の三和土《コンクリート》の濡れた上へ速達が落ちていたのを、めったにない事だと胸をドキドキさせて読んで行くと、「放浪記出版」と云う通知なのであった。暫《しばら》くは私は眼がくらくらして台所で水をごくごく飲んだものだ。嘘のような気がした。誰かが悪戯《いたずら》したのだろうと思った。七、八年と云う長い間、私の原稿などは満足に発表された事なんぞなかったのだ。原稿を持って雑誌社へ行って、電車賃もないのでぶらぶら歩いて帰って来ると、時に、持って行った原稿の方がさきまわりして速達で帰っている事があった。
 この放浪記では、何だか随分印税を貰ったような気がしてうれしかった。長い間の借金や不義理を済ませて、私は一人で支那に遊びに行った。ハルピンや、長春、奉天、撫順、金州、三十里堡、青島、上海、南京、杭州、蘇州、これだけを約二ヶ月でまわって、放浪記の印税はみんなつかい果たして、上落合の小さい家に帰って来た。帰って来ると鳳仙花は
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